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「PAC-MAN」は「ライフゲーム」

Blogmag , 近代プログラマの夕4

Posted at 2010/10/02 14:09:44 by hortense

 秋葉原からほど近い「アーツ千代田3331」で行われている「パックマン展-80's to 10's ゲーム&カルチャー」のプレスデーに出かけてきました(催し自体は今日(10月2日)から11日まで)。ディレクションを担当した伊藤ガビン氏からTwitterで「岩谷徹氏も来られますよ」と誘われて出かけたのだが、これが想像を超える充実した展示だった。


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 オープニングパーティ&プレス向け説明会(?)と前後して、私がパックマン好きだと知っている人たちから、岩谷徹さんを紹介されました。パックマンについてはいまさら説明するまでもないでしょう。岩谷徹さんは、その作者なのですよね。いやー、うれしいなー。1980年代、もう貧乏するくらいやったゲームの作者といま頃になって対面できるなんて感動ものです(私のパックマン好き度については文末のリンクをご覧あれ)。

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 パックマン自体については、会場に並べられたアーケード筐体や古いゲーム機の展示を見ていただくのが楽しいでしょう。dotimpact氏による顕微鏡を覗いてプレイするパックマン(!)。ほかパックマンの周辺しか見えずにプレイするパックマンなんてプレイヤブルな展示もあり(1980年代マップが真っ暗で見えなくなるパックマンのパチもん台なんてのもありましたが)。

 ところで、パックマンのあのピザをひと欠け食べた形がもとという形(米国流にいえば初期のミッキーマウスなんかの目のハスの葉みたいな形を「パイカットアイ」といいますが)を見て回っていると、

「オレはなんでパックマンにあんなにハマったのだろう?」

という思いにかられてきます。もちろん、当時もいろいろな楽しいゲームがあったが、私にとってパックマンだけが別格だった。それは、岩谷氏のこの日の挨拶にもあったように、画面がめちゃめちゃデザイン的に洗練されていたことがあると思う。「パックマンを機会に女性たちがゲームをやるようになった」と当時の新聞か雑誌で指摘されたこともあった。つまり、ビデオゲームでグラフィックなまったく新しいしかも純粋にデジタルな世界に連れ出してくれたというのがあると思う。

 なにしろ、それまでのビデオゲームは画面の表示性能からグラフィック的なというよりどこか記号的なデザインがほとんどだった。「何かを模した表現」としてのドットグラフィックスがほとんどで(それはそれで味があるのだが)、車だったり宇宙人だったり、ガンマンだったり。ブレイクアウト(グロック崩し)という例外はありますが、これは、テニスゲームとピンボールのドロップターゲットをイメージするものがありました。

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 その点、パックマンは純粋に抽象世界だけからなる「それ自身が本物」のビデオゲーム生粋の世界。その証拠に、パックマン宇宙は画面に表示されているものがすべて。240個のドットと4個のパワーエサに、4匹の個性的なモンスターのいる世界が、森羅万象八百万のすべてなのだ。ご存知のように、唯一画面に表示ささていないところは、左右に通ずるワープトンネルだけ。

 そこで、なぜ自分がパックマンにはまったのかというと純粋にプログラムによって規定される世界と、たった1人でコンタクトできたからではないかと思う。パックマンは、ほかのほとんどすべてのゲームと同じでノイマン型のふつうのコンピュータ(ゲーム筐体)の上で動いている。

 ある時点で、4匹のモンスターがどの位置でどっちに向かって動いていたとしたら、何秒後、何分後に彼らがどこにいるかは完全に決まっている。パックマンが、スタートからじっと動かないでいたら、実際に4匹のモンスターは毎回必ず同じ動きでやってきて同じモンスターがパックマンが食べてしまう。何回でもサルのようにデジャヴできる。

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 その状態においてパックマンというゲームは、コンウェイの「ライフゲーム」みたいなものだと思うのだ。「ライフゲーム」というのは文字どおり生物を極限までプリミティブにみたてたシミュレーション。それに、自分が関われる、自分でそれの動きに影響を与えられる。自分も、バーチャルなモンスターたちと戯れて彼らをコントロールできると知ったとたんに、私は、このゲームの虜になっていたのだと思う。

 それは、自分をケーム基板のROMに書き込まれたプログラムのアルゴリズムと同じレベルにしてみるみたいな感覚でもある。

 つまり、パックマンが単純化しているだけで世界はパックマンのゲームフィールドみたいなものではないかと思えてくる。たぶんパックマンというゲームが、誕生して30年もたってこういう楽しい展示が行われるのも、ひとりひとりが、パックマンをプレイするように世界を変えてきたからなのだ。画面上の4匹のモンスターやフルーツを意識しながらどうふるまうか? そんな生きる(食べる?)ことのドキドキ感に、パックマンの秘密があるのではないでしょうか?

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「パックマン展-80's to 10's ゲーム&カルチャー」
http://www.3331.jp/schedule/000638.html

パックマン世界選手権
http://ascii.jp/elem/000/000/050/50790/

パックマン追伸
http://blogmag.ascii.jp/tokyocurrydiary/2007/07/post_54.html

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