2010年10月
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1カ月ほど前、「SMASH」を観戦してきた。実は、プロレスを生で観戦するのは2回目。1回目が今年の5月で、いま頃になって出かけているのは、私の友人の韓国のプロレスラーが日本デビューを飾ったからだ。彼の名は「キム・ナムプン」、今年5月のSMASH 3に参戦して会場の雰囲気を一瞬にして独り占めしてしまった。 |
「擬人化ジャパン」というシンポジウムに参加させてもらいました(デジタルコンテンツEXPO 2010の主催者企画)。実は、「パネリストとして参加しませんか?」と言われたとき、いったい何を喋ろうか? と思ったのでした。ところが、これが興味深い内容でとても勉強にもなりました。
※ステージ背後での「はやぶさ」こと秋の『』さん。本物と同じくイオンエンジンは2個しか稼働しておりません(ブレていて申し訳ない)。
まずは、私が登壇者控え室に入ったとたんに感じた「空気」です。「はやぶさ」のコスプレをされている秋の『』さんが、イオンエンジンをランドセル状に背負って椅子に座っています。ここで、内容の事前打ち合わせとなるのですが、要するにシンポジウムの開始前から出演者たちは軽いパニック状態になっていたことを報告せざるをえません(すいません->関係者の方々)。
その擬人化に対する登壇者のピュアな態度がそのままステージに出たのか、真面目にしかしエキサイティングに、「擬人化って?」というテーマでお話ができたと思います。研究者(倉本さん)、擬人化作家(しきしまさん)、政策側(境さん)、コスプレイヤー(秋の『』さん)という立場の異なる方々とお話をできたのがよかった。
私のプレゼンは10分ほどだったと思いますが、アスキー総研の調査を下にしたデータの紹介が中心です。この日のお話のベースにした『「萌え」の構造と「擬人化」』でも、グラフを3つくらい掲載していますが、この日のプレゼンでは20個以上のグラフを使わせてもらいました。ニコ生やUstreamでご覧あれ(私の話は47分くらいから)。
時間が限られているせいで、いくつか言い間違えてしまっている部分があります。iモードの開始は、1995年ではなく1999年です。それから、擬人化に関するOくんのコメント「自分の好きなものが女の子だったらうれしい」のついでに出てきた、「ASCIIを擬人化したら頭のこの辺に“A”という文字とかくっついているとか」は、Oくんではなくて私の友人の息子さんのセリフでした(彼には「鴨川の法則」の現在状況の観測をはじめお世話になっているのに申し訳ない)。
※私は「擬人化」の前提となる「萌え」について語らせてもらった。写真は秋葉原の三月兎の店頭にならぶ「萌え」系入門書の数々。分子生物学から統計学、シーケンス制御という文字も見える。
さて、シンポジウムの最後に聞かれた感想でもそんなこと答えたのですが、擬人化というプロトコルはとても優れている。チェスや囲碁をする名人たちの脳の中では、人の顔を認識している部分が活性化しているという説がありますよね。人間は、人の顔や動作や雰囲気を読み取ることにたけている。
だから擬人化があふれてきても、それを吸収する側の処理能力もとても高かったりする。これは、「DNAコンピュータ」とか「粘菌コンピューティング」を超えた、「擬人化コンピューティング」なんではないかと妄想したくなる。
実は、Twitterのアイコンなんかはそうしたものの1つかもしれません、つまり、Twitter全体がコンピューティングなのだとするとあながちデタラメな話とも言い切れない(「Twitterはコミュニケーション革命なんかじゃない」参照)。
ヒトは、他の個体の気持ちを瞬時にして読み取れる能力を持ったからこそ、人間になりえたわけなのですよね。つまり、1人のヒトという制限されたスペックを超えたコンピューティングができたからさまざまなことが可能になった。言葉によってさらに加速されることになるけれど、言葉をこえたところにそれはある。人間は、ネットワークド・システムというわけなのだ。
ところで、Twitterのタイムラインを見ていたら、私が「今後は物作りの人に萌えを理解する属性が必要になるんじゃないか」と言ったのに対して、@Koedaさんが、「これはコミュニケーション、というか広告もそうだよなあ」書かれていたのが印象的でした。これは、「擬人化コンピューティング論」とは違ってすぐにやってくる話です(プレゼンで使ったシートを2枚ほど紹介しておきます)。
※いま「萌え」をリードしているのが「けいおん!」。お茶の水の楽器屋さんにいくと「けいおん!」な感じの女の子たちが楽器や楽譜を物色していていい感じです(グラフはMCS Elementsの出力より)。
※「萌え」系の人たちのメディア活用には独特のものがある。コンテンツ消費は積極的で早稲田のカラオケお店はアニソンばかりが利用されると聞きました(グラフはMCS Elementsの出力より)。
これくらいいまの20代を中心にした人たちは、新しいコンテンツ生活を送っている。
さて、私的には、楽しくいろいろ刺激もされたシンポジウムでした。企画・準備された方々には、本当にお世話になりました。登壇者の方々もお疲れさまです。
「擬人化ジャパン ~日本発・擬人化キャラクタがモノづくりを語る~」
ニコニコ生放送「擬人化ジャパン@DC EXPO 2010」
Ustream「擬人化ジャパン」
「萌え」の構造と「擬人化」
MCS 2010(アスキー総研のメディア&コンテンツ調査)
MCS Elements(同iPadアプリ=株式会社ユビキタス・エンターテインメント発売)
「Twitterはコミュニケーション革命なんかじゃない」
※少々冗長になったので少し短くさせてもらいました(2010/10/18)。
秋葉原からほど近い「アーツ千代田3331」で行われている「パックマン展-80's to 10's ゲーム&カルチャー」のプレスデーに出かけてきました(催し自体は今日(10月2日)から11日まで)。ディレクションを担当した伊藤ガビン氏からTwitterで「岩谷徹氏も来られますよ」と誘われて出かけたのだが、これが想像を超える充実した展示だった。
オープニングパーティ&プレス向け説明会(?)と前後して、私がパックマン好きだと知っている人たちから、岩谷徹さんを紹介されました。パックマンについてはいまさら説明するまでもないでしょう。岩谷徹さんは、その作者なのですよね。いやー、うれしいなー。1980年代、もう貧乏するくらいやったゲームの作者といま頃になって対面できるなんて感動ものです(私のパックマン好き度については文末のリンクをご覧あれ)。
パックマン自体については、会場に並べられたアーケード筐体や古いゲーム機の展示を見ていただくのが楽しいでしょう。dotimpact氏による顕微鏡を覗いてプレイするパックマン(!)。ほかパックマンの周辺しか見えずにプレイするパックマンなんてプレイヤブルな展示もあり(1980年代マップが真っ暗で見えなくなるパックマンのパチもん台なんてのもありましたが)。
ところで、パックマンのあのピザをひと欠け食べた形がもとという形(米国流にいえば初期のミッキーマウスなんかの目のハスの葉みたいな形を「パイカットアイ」といいますが)を見て回っていると、
「オレはなんでパックマンにあんなにハマったのだろう?」
という思いにかられてきます。もちろん、当時もいろいろな楽しいゲームがあったが、私にとってパックマンだけが別格だった。それは、岩谷氏のこの日の挨拶にもあったように、画面がめちゃめちゃデザイン的に洗練されていたことがあると思う。「パックマンを機会に女性たちがゲームをやるようになった」と当時の新聞か雑誌で指摘されたこともあった。つまり、ビデオゲームでグラフィックなまったく新しいしかも純粋にデジタルな世界に連れ出してくれたというのがあると思う。
なにしろ、それまでのビデオゲームは画面の表示性能からグラフィック的なというよりどこか記号的なデザインがほとんどだった。「何かを模した表現」としてのドットグラフィックスがほとんどで(それはそれで味があるのだが)、車だったり宇宙人だったり、ガンマンだったり。ブレイクアウト(グロック崩し)という例外はありますが、これは、テニスゲームとピンボールのドロップターゲットをイメージするものがありました。
その点、パックマンは純粋に抽象世界だけからなる「それ自身が本物」のビデオゲーム生粋の世界。その証拠に、パックマン宇宙は画面に表示されているものがすべて。240個のドットと4個のパワーエサに、4匹の個性的なモンスターのいる世界が、森羅万象八百万のすべてなのだ。ご存知のように、唯一画面に表示ささていないところは、左右に通ずるワープトンネルだけ。
そこで、なぜ自分がパックマンにはまったのかというと純粋にプログラムによって規定される世界と、たった1人でコンタクトできたからではないかと思う。パックマンは、ほかのほとんどすべてのゲームと同じでノイマン型のふつうのコンピュータ(ゲーム筐体)の上で動いている。
ある時点で、4匹のモンスターがどの位置でどっちに向かって動いていたとしたら、何秒後、何分後に彼らがどこにいるかは完全に決まっている。パックマンが、スタートからじっと動かないでいたら、実際に4匹のモンスターは毎回必ず同じ動きでやってきて同じモンスターがパックマンが食べてしまう。何回でもサルのようにデジャヴできる。
その状態においてパックマンというゲームは、コンウェイの「ライフゲーム」みたいなものだと思うのだ。「ライフゲーム」というのは文字どおり生物を極限までプリミティブにみたてたシミュレーション。それに、自分が関われる、自分でそれの動きに影響を与えられる。自分も、バーチャルなモンスターたちと戯れて彼らをコントロールできると知ったとたんに、私は、このゲームの虜になっていたのだと思う。
それは、自分をケーム基板のROMに書き込まれたプログラムのアルゴリズムと同じレベルにしてみるみたいな感覚でもある。
つまり、パックマンが単純化しているだけで世界はパックマンのゲームフィールドみたいなものではないかと思えてくる。たぶんパックマンというゲームが、誕生して30年もたってこういう楽しい展示が行われるのも、ひとりひとりが、パックマンをプレイするように世界を変えてきたからなのだ。画面上の4匹のモンスターやフルーツを意識しながらどうふるまうか? そんな生きる(食べる?)ことのドキドキ感に、パックマンの秘密があるのではないでしょうか?
「パックマン展-80's to 10's ゲーム&カルチャー」
http://www.3331.jp/schedule/000638.html
パックマン世界選手権
http://ascii.jp/elem/000/000/050/50790/
パックマン追伸
http://blogmag.ascii.jp/tokyocurrydiary/2007/07/post_54.html
東京カレーニュース
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