2010年05月
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今週のGoogle I/O(5月19、20日)から、来月早々のComputex台北(6月1~5日)、アップルWWDC(6月7~11日)、E3(6月15~17日)の約1カ月で、“パソコンの歴史が終わる月間”かなと半分冗談で言ったりしていた。いままで慣れ親しんできたデスクトップパソコンや二枚貝のような形をしたノートPCというものが、えらい古い感じのものになる。 |
3.5インチ型フロッピーを製品化したソニーが、23日、来年3月末でその国内販売を終了すると発表した。ニュースを読まれた人も多いと思うが、2010年4月24日の『朝日新聞』の経済面には、「さよならフロッピー」と題された記事が掲載されている。電子書籍やその端末についての議論がかまびすしいこの時期に、ソニーがこの発表をしたのを見て気が付いたことかある。
フロッピーディスクは、電子書籍のための媒体ではないが、コンピュータという狭い業界の中においては、世の中全般における「本」に匹敵する存在感を持っていた時期もあった。その自由度や合理性、中学生でも使える大衆性、ポケットにも入る機動力、そして互換性が半端ではない。
エレクトロニクスの歴史を眺めてみると、これに近い属性の記録媒体は、ラジカセにおけるコンパクトカセットテープくらいではなかろうか?
ラジカセ:コンパクトカセット
パソコン:フロッピーディスク
フロッピーディスクには、8インチ、5.25インチ、3.5インチなどがあり、5.25インチは「ミニフロッピー」、3.5インチは「マイクロフロッピー」などとも呼ばれた。8インチ型のフロッピーは大型コンピュータの時代からあったもので、紙のパンチカードに代わるものとして使われはじめた(IBMのホレリス式カードはドル紙幣のサイズに合わせて作られたもので穿孔された穴の有無で80バイトのデータを記録できる)。
最も普及したフロッピーは3.5インチで、その直径は文字通り3.5インチ。マクドナルドのハンバーガーのバンズとちょっきり同じサイズだったのも偶然ではないだろう。手で持って扱うのに適切な大きさということだ。
朝日新聞記事によると、ソニーの出荷ピークは、2000年で4700万枚を世に送り出したそうだ。世界中でフロッピーの中に込めれらた人間の所業のことを思うと、クラッと気が遠くなる思いがする。それが販売終了というのだから、まさに時代は変わったということだ。
新聞では生産終了となる理由として、「USBメモリや大容量の記憶媒体の普及で需要が減ったため」とあるが、フロッピーに取って代わったのは、むしろ、フロッピーより歴史の古い「電子メール」だったと思う。フロッピーの使い方を考えるとき、人から人へ手渡しする、「データを人に受け渡す」という意味が少なからずあったからだ。
そして、ネットになったことで、データを手で持つという“実在感”がなくなった。
ところが、人類の歴史を振り返ると、「手」が思考というものと凄く近い関係にあった。思考といちばん近い体の部位は、脳みそや眼球だろうが、手が果たした役割はより人間的ともいえる。手の指を折って考えるから始まって、手で文字を書くことで、ものごとの答えを導きだしたり、自分の感情を表現してきたからだ。その意味において、情報の入ったフロッピーを「手」で持って渡したりしたというのは大きい。
3.5インチで思い出したのは、日本マクドナルドの故藤田田会長が、「ハンバーガーは手に持って食べるものだから日本でもヒットする」と感じたとどこかで述べていたことだ。ひょっとしたら、iPhoneやAndroidやiPadは、「手でデータを扱いたい」という欲求を少しだけ満足させる端末なのかもしれない。
ということで、
「iPadって売れると思いますか?」
という質問をもらったら、私は、「お金のある人でこれを知ったら絶対にiPadを買う」、「お金のない人は買わないし、彼らはネットブックを買ったほうがハッピーだと思うが、欲しがる端末になる」と答える。というのも、写真を入れていじっていたのだが、スライドショウがあまりに低機能で閉口した。ところが、1枚1枚の写真を拡大したり動かしたり、これって本能的にやれるようになりそうなのだ。目の凝視とか、近づけたりとか、それを手でやれるのは新しいのではないか? 動画やライブ映像も拡縮移動できるといい。手が目の一部になる。
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by @hortense667
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