2010年04月
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 不忍ブックストリートの一箱古本市に出かけてきました。谷中、根津、千駄木のあたりのギャラリーとか雑貨屋さんとかの店頭を借りてやっている古本市です。下の写真は、D坂近くにある喫茶「乱歩」となりの東欧雑貨のビスケットさんの店先。

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 それにしても、谷中というと丸尾末広さんが住んでいたくらいの記憶しかないんだけど、これが、ちょっと楽しい町並みで驚きました。お年寄りの原宿といわれる巣鴨的要素や江戸趣味とかに加えて、なぜか若者系のやや森ガール系のカルチャーもあり。ちょっと不思議な化学変化が起きているもようです。で、とにかくお店が多い(写真からはいまひとつ伝わらないですが)。

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 南陀楼綾繁さん(「一箱古本市の歩き方」出ました)には、「次回はぜひ出品してください」と言われたので、ブック・ダイバー(探求者)の「古ぽん秘境めぐり」で売り上げいまいちだった私としては、次回リベンジをはかる覚悟。実際、よく売れている感じでグルリと回ってきて、自分の一箱古本の売れ行きを確認とか楽しそう。このあたり、珈琲店も多い。谷根千とか、好きになりたい人は衿沢世衣子さんの『ちずかマップ』をご覧あれ。

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 いや待ってました。オリンパスのマイクロフォーサーズ「M-ZUIKO DIFITAL ED 9-18mm f4.0-5.8」が手に入りました。私のように旅行好き、仕事でも写真使うとなると、9-18の広角ズーム加減ってのがとても使えるのです。店舗やオフィスのようす、人物、商品どれでもオッケー。望遠がないけど、「男と女の間には写真機」があるのアラーキーさん流にいえば、それは寄って行けばいいでしょう(というわけにはいかないこともありますが)。

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 それで、フォーサーズ(左)と比べるとこんなに大きさが違うんですね。どっちも軽いんだけど、よりライトでコンパクトになったのは嬉しい限りです。LUMIX DMC-GF1に装着してみると、これが大きさ的にはピタッときます。なにしろ、LUMIXのレンズキットの14-45(中)よりもコンパクト。

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 私の場合は、写真が目的というわけではないので、小さいカメラのほうが好ましい。Olympus E-400を英国から逆輸入して使ってたんだけど、フォーサーズの9-18を左な感じで使っていたのが、右の感じになりますからねー。いままでG1にアダプタかましてフォーサーズの9-18を付ける下のようなバランスでもありました。

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 以下、作例というより気軽に撮ってみたという感じではありますが。それなりに寄ってモノも撮れるし、狭い空間も全体の感じが伝わる9ミリ(35ミリ換算18ミリ)は使えます。

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 個人的な意見ですが、銀塩の時代は、絵を「切り取る」だった。フレームの外側の写っていないところを無意識下に想像するようなところに魅力がありました。デジタルでは撮影する瞬間よりもPCに持ち込んだ後に頭を使う比重が増えてきた。その分、広角に気持ちが動くのかもしれません。

 イアン・スチュアートの『数学の秘密の本棚』(水谷淳訳、ソフトバンククリエイティブ刊)に出てくる「飛び出す正十二面体」を作ってみた。どうなっているかは、以下の動画を見てもらえれば説明の必要もないかもしれないが、正十二面体がペチャンコになっていて、手を離すとパッと立体に戻りますというものだ。



 正十二面体を2つの展開図から作り、中央部分の角を1つおきに輪ゴムでひっかけてあるというもの。まるで輪ゴム万有引力みたいな感じで、ちょうど石けんの泡が固まるみたいな感じで球体になろうとする感じが、正十二面体ににつかわしい。

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 この本、英国の数学者イアン・スチュアートが、子供の頃からかきためてきたメモを一挙公開というもの。というわけで、こんなボール紙で実験できるものから、ソーセージ予想(数本のソーセージを一列に並べてパックするのと6角パックとどっちが密度が高くなるか?)なんて難しい問題まで入っている。ソーセージでなく球の場合、1998年には42次元以上の空間の場合まで証明されているそうだ。といってもサッパリなんですが。

2010年4月20日(火)~24日(土)まで、神保町のダイバー(探求者)で開かれる「ふるぽん秘境めぐり」に出店。不忍池の1箱古書市みたいな感じで、ダンボールを持ち込んで、おままごと的古本屋さん気分になれるというもの。古本のレンタルショウケースといってよいかもしれません。で、「東京おとなブックス」という屋号でやることにしました。先週、今週と自分の持っている本をひっくり返して、ようやく数十冊の商品(!)を選びだした。以下、リストの一部です。

■80's ものサブカルチャー天国

▼『プレイガイドジャーナル』1979~1982年頃のもの27冊
 ご存じ大阪の情報誌。コラムや特集が充実してました(状態:中から下=ごく一部切り抜きあり)
▼『PERLICAN CLUB』1984年頃のもの5冊
 ご存じ京都の情報誌。ひさうちみちおさんとかも登場する。80年代的サブカル色たっぷりの本を不連続5冊(状態:中)。
▼『COMIX BOX』1982年9月号
 特集「長井勝一『ガロ』編集長」。
▼『漫画の手帳』1982年 7号
 森康二、福山慶子、高橋葉介などの名前が表紙に。値付けが本当に難しい。誰か教えてください。
など……。

■サイエンスもニューサイエンスも

▼『科学者と数学者が頭をかかえる8つの難問』私が大好きなA・K・デュードニー本をあえて売ってみる。
▼『数術師伝説』木村俊一著
▼『宇宙の定数』ジョン・D・バロウ著
▼『世界を欺いた科学10大理論』千代島雅著
▼『超常科学謎学事典』小学館
▼『ユリイカ』臨時増刊 特集「オカルティズム」
▼『奇景の図像学』中野美代子著

■レアもの系
▼『INVENTION』Rube Goldberg著。私の大好きなゴールドバーグの1冊。これは絶対お買い得になるはず。
▼『03』1991年6月号。麻原彰晃×荒俣宏対談など収録。
▼『The Google Book』V.C.Vickers著。検索エンジンのグーグルではありません。著者は、爆撃機なんか作ってたビッカース社ゆかりのビッカース氏。

 そのほかにも家に余っている自分で作った本、書いた本とかも持ってくるかもしれません。しかし、こうやって売る本を一応セレクトしてみると、いろいろと葛藤がありました。そのことは、この際『大人のおとなブックス』という新聞でも作って書くことにするか?  そんな余裕あんのか? 確立50% 名前の由来は、『彷書通信』(2009年12月号)に書いた私のコラム参照のこと。

 世の中「脳波」である。大がかりで高価な装置を必要とした脳波の検知がおもちゃでも可能になったということで、米国で非常に話題になっている「MindFlex」(マインドフレックス)を取り寄せてみました。一時期は、かなりの品薄状況でしたが、私のところにもやっと届きました。すでに映像などでご覧になっている方もいると思いますが、さっそく試してみたのでご紹介。

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 本体は、こんな感じです。穴の部分から空気が出てブルーのスポンジ製のボールが宙に浮くようになっています。ヘッドセットを付けて集中すると風力が増してボールが上に上がり、リラックスするとボールが下がる。アトラクション用の部品をベースの上に立てて、ボールを上下させてながらノブを回しアスレチック的なゲームを遊ぶようになっているんですね。

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 NHKのクローズアップ現代でも、脳波で運転する車椅子やら、スポーツ選手が機械を使って集中力を高めていたり。脳波マーケティングなんて話も出ていたので、アスキー総研的にも無関係ではありません。キヤノンさんが中国のテレビコマーシャルを分析してもらっているなんて話が紹介されていました。それぞれの技術的な背景までは解説されなかったのですが、このMindFlexでも十分に集中力の状態くらいならセンスできています。つまり、まったく機械に手を触れず、気分だけでボールを上下できます。



 この映像、ちょっとコワイと言った人がいるんですが、なにしろ真面目な気分にならないとボールが浮かない。何人かでプレイするときには、「にらめっこ」遊び的な雰囲気で遊べるのかもしれません。ボールをどうやって上下するのかというと、マニュアルには、以下のようなヒント情報が書いてありました。

ボールを上げるには?

1.ボールをにらむ
2.ボールが浮いてる図をイメージする
3.リーチする高さに集中
4.ボールを押し上げるイメージをする
5.数学の問題を解く
6.同じ考えを繰り返しイメージする

ボールを下げるには?

1.頭を空っぽに
2.リラックス
3.深呼吸
4.目を閉じて開きなんとなくコンソールを見る
5.睡眠をイメージする
6.平和でラクチンな気分になる

 最初からあっさりコントロールできたので、やや拍子抜けなくらいなんだけど、マニュアルによると個人差はかなりある模様。つまり、コンセントレーションができる人とそうでない人がいるんですね。もう少し時間を取ってあらためてやってみたいと思います。将来的にコンピュータもこんな感じで操作するようになるのかもしれません。

 続き、とりあえずこちらからの予定 --> @hortense667(http://twitter.com/hortense667

 先日、夕刊フジのMさんからメールがあった。「iPad買いましたよね?」というものなのだが、「@knnkandaさんは入手していますね」と返したら、「じゃ見せてもらいに行きましょう」という話になった。Mさんとは、そのむかし神田敏晶さん主催の「セグウェイ」試乗会に一緒に参加したことがある。

 @knnkandaさんにメールすると、今晩の「KNNなう」(神田さんが毎日やっているUstreamニュース番組の2010年4月6日22時~放送分)のときに来てくださいということだった。湯島天神から降りたあたりにあるキバンインターナショナルさんのスタジオに乗り込んでいくと、@knnkandaさんや@Awabowさんが準備中。



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 この日のゲストは、佐々木博氏(@hirosh)で、楽しい音楽ネタをいろいろ見せてくれていたのだが、後半の10分くらい私も飛び込みで出させてもらった。さて、そこで神田さんからいきなりふられたのが、

「これはコンピュータなんですか? エンドウさん」

という質問。これに対して、私はどう答えたかとういと「iPhoneはコンピュータだと最初から思っていました」(iPhoneが出たときApp Storeなんて話はなくて、アップルは5年先の携帯だと言ったけど「コンピュータに違いない」と記事にも書いた)ということだ。ところが、いま気づいたているのは、

「iPhoneというのは“物質”だった」

 ということですと答えさせてもらった。ちょうど、「紙」みたいな物質。だからそのまま大きくして、iPadにして、違ったファンクションを担うことができる。

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 アップル(ジョブズ)は、人の悪口を言う傾向があるが、あまり傲慢なことは言わない。初代マックのときには、それを「知的な自転車」と呼んだり、「ボクたちみたいじゃない人たちのためのコンピュータ」と呼んだりした。ペプシコーラを、スーパーなどの小売りでシェアトップの座(誤解されがちだが世界のコーラ市場全体ではない=『コーラ戦争に勝った』参照)を奪いとったジョン・スカリーを招いたときには「一生、砂糖水を売るのか?」と言ったと言われていますね。

 つまり、ジョブズは、コピーライターで、1行の言葉で人々を誘導する能力を持っている。なんだか毛沢東みたいな能力ではないかとすら言いたくなる。

 iPadの発表の際には、ジョブズは「アップルは、リベラル・アーツとテクノロジーの交差するところに位置する会社だ」と言った。私は、iPadに込めた思いをうまく表現していると思う。リベラル・アーツというのは、「学問」や「芸術」全体のことといってよい。それから類推するのは、彼らがiPadに注力している気持ちの根底には、

「紙の終焉を見てみたい」

というモチベーションがあるからではないかと思う。学問も芸術も、紙なしにはやってこれなかったからだ。

 iPhoneを出してみて、彼ら自身が使っていて、それが「物質」であることに気が付いた。未来の「紙」みたいなもんだったらどんなことができるのかを体現したのがiPad。それを、表立った言葉にはせずにシステムとして実現しているところが素晴らしい。

 「iPadは大きいiPod touch」とか「iPadは大きなiPhone」とか言う意見がある。これは、もの凄く当たっているともいえるし、もの凄く的外れのような気もするのだ。いまiPadを使ってみて、なんてiPhoneが窮屈なことかと言っている人がいるが、手札判のメモ帳とA4のノートでどっちが使い勝手がよくていろんなことができるかといえば決まっている。

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 iPadは未来の紙なのだ。未来の紙は「HTML 5」がそれを約束しているように、動くし、インタラクティブである。というよりも、iPadは、現実の物理空間のものかと思うほどスムーズに描画する。未来の紙は、

「時空を超えるフレーム」

なのかもしれない。その意味では、いまiPadの上で行われていることは、将来やってくるであろうシステムの練習のようなことなのだ。たとえば、いま電子書籍のことが、出版界やIT系企業だけでなく政府まで大きなテーマにしてきている。たしかに、電子書籍を、アップルならアップルで買いそろえてしまうと、以降、ずっとアップルと付き合わなければならなくなる可能性がある。いま音楽で、iTunesで何も考えずに落としてくるとiPodでしか再生できないAACというデータフォーマットがたまっていき、iPod以外のプレイヤーに事実上移れなくなったりするような話だ。

 はたして、本についてもそれでよいのかという議論はあるだろう。それでやむを得ないという意見もあっていい。しかし、SIMアンロックと同じでユーザーの利便というのなら端末フリーというものでしょう。あるべきは、どの電子書籍端末からでも買った本は読める1つの「ブック・キー」。出版社(または個人)が購入者に1つ発行。それがあれば、どの端末からでもダウンロードして読めるようにする。デジタルのプラットフォームだからこそ既存の電子書籍端末でもあとから導入できる。

 しかし、問題は、「本」のことではなくて「紙」のことなのだ。まさにリベラル・アーツというものの新しいプラットフォームであって、それの直近のテーマが電子書籍ということなのですね。


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