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祝! アジャンタ50周年

Blogmag , カレー中心主義の食生活

Posted at 2007/12/06 00:22:17 by hortense

 会社に段ボール箱に入った荷物が届いたと思ったら麹町のインド料理店「アジャンタ」からだった。そういえば、半年ほど前に「うちは、今年、50周年なんですよ。何をやったらいいかいいアイデアがあったら教えてよ」と社長のムールティさんに言われたのを思い出した。届いたのは、ボージョレヌーボーとアジャンタのカレーセット。私は、20年くらいマトンカレーばかり食べていた。そのためか、マトンばかり3つ(ここ10年は、チキンカレーなのだが)。アジャンタへの感謝の気持ちを込めて「私のアジャンタ年表」を作ってみたのでご覧アレ。1人のカレー好きとインド料理店の記録だ。

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【遠藤諭のアジャンタ年表】 ver.0.2

1970年代末■当時は九段にあったアジャンタを知る。教えてくれた道林女史は人生の恩人。チキンカレーはいまよりも小骨が多く、キーママタールはグリーンピースが印象的だった(そもそもマタールはグリーンピースの意味ですよね?)。メニューには「ベジタリアン向け」のコーナーが作られていて、料理の顔ぶれも少し異なっていたと思う。入り口近くでインドの民族衣装などを扱っていて、インドスナックを買うのが楽しみの1つ。
1980年前半■都内のインド料理店を毎週食べ歩くようになるが、いちばん多く通ったのはアジャンタ。年に1度、友だちを集めてアジャンタパーティを開いていた。
1984年頃■小川町に借りた部屋から毎日のようにアジャンタに食べに行くようになる。ほとんどマトンカレー。あるとき、店員さんに「今度、うちは麹町に引っ越すんですよ」と告げられる。
1985年■アジャンタが麹町に移転。24時間営業、365日年中無休。開店祝いで出てきたインドのお菓子の表面には本物の銀箔が貼られていた。アチャールが、刻んだスタイルになり、お店に抗議する(無事に元のスタイルに戻る)。
1980年代後半■『月刊アスキー』で勝手にテロ的宣伝を繰り返す。マトンカレーしか食べない。ある日、ヨーグルトライスを食べてみるが、あまりの味に今後15年以上は注文しないであろうと思う。この頃か、アジャンタは機関紙を出していた。それによると「アジャンタ」の意味は「宇宙開闢(かいびゃく)の逆」の意味とのこと。どおりでカレーの味も深淵だったわけだ。
1980年代中後半のどこか■水島裕子のテンパイポンチン体操がアジャンタの2階でとり行われる。
1989年■『風来坊のカレー見聞録―アジャンタ九段店の調理場から』(浅野 哲哉著、早川書房)を読んで、料理人たちの過激な日常を知って感動する。
1990年頃■編集部から深夜買い出し便が毎日出る。チャパティやシャミカバブなど、いまと違うものも食べていたが、やはりメインはマトンカレー。
1990年代前半のどこか■隣の席で黛敏郎氏が、マトンカレーを食べていた。「旨いなー」と声に出して感動していた(http://blogmag.ascii.jp/tokyocurrydiary/2006/08/post_15.html)。
1995年■「アジャンタ謹製・パソコン・ハッカー・キーマ・カレー&マサラ・チャイ・セット」を作り、雑誌にお便りをくれた人にあげる。
1996年■『辛ミシュラン/東京うまい店・辛い店』上梓。
1996年■アジャンタの社長に、「パソコンを新しくしようと思うのだが、ウィンドウズとマックどっちがいいと思う?」と相談される。それぞれのメリットを説明したのだが、しばらくたって「どうしました?」と聞くと「両方買っちゃった」と言われる。
1999年頃■「アジャンタFan Club」のメルマガが発行される。会員数は、232名。「私、謎のインド人、ホーリーネーム、アナンダ・ジャイラム・ムールティ、通称名ジェイ、肩書き社長が慣れない日本語で直接皆様方にメールを送らせていただきます」などと書いてある。この頃、マトン以外のカレーも食べるようになっている自分に気づく。カレー以外では、南インド料理フェアの後に定着した「コットウパロタ」と「マサラドーサ」をよく食べるようになる。なお、その後、メールマガジンが届くことはなかった。
1999年■アスキー社内のカフェテリアでアジャンタのカレーを食べる計画が正式に認められる。当時、アジャンタは、新宿高島屋と吉祥寺近鉄のデリカに料理をおろしており、そのついでに置いて行ってもらう計画。会社の地下にカレーの匂いを蔓延させる計画で、会社もアジャンタもOKが出たのに、会社都合で中止。
2000年■私の計画を聞いたHさん(現大手レコード会社社長)がエンターブレインの1階でアジャンタのカレーを出す。しかし、デリカではなくレトルトだったため本来のアジャンタの魅力は出ず。現在でも、エンブレにはアジャンタの味を誤解している人がいるものと予想される(いまはやたら近くてうらやましい)。『月刊アスキー』の餅月あんこさんの連載「パソ子さん」にアジャンタが登場。
2000年■『週刊アスキー』の企画で恵比寿ガーデンプレイスの39階にあったアジャンタでカレーを食べる会。
2001年■桃井はるこさんから「阿佐ヶ谷のけやき通りの消火栓にアジャンタの看板があります」と教えてもらう(http://diary.nttdata.co.jp/diary2003/02/20030224.html)。
2002年春■もう10年以上会っていないニューヨーク在住の友人からメール。「アジャンタでカレーを食べているところ」と返事すると「やーっぱね、アジャンタにいたんだ。ていうのは、二晩くらい前、夢でみたんですよー。遠藤さんと私がアジャンタでカレー食べてる。ま、夢の事なんで九段下(でしたっけ?)の方で。でも、あっちのほうがロケーションとしてはセクシーですよねー」という返事。他人の夢の中でもアジャンタのカレーを食べていた。
2002年秋■アジャンタから「会社の入館カードを忘れませんでしたか?」と電話。実は、しばらく前になくして入館カードは再発行してもらっている。ずっとアジャンタに落ちていたことになる。
2003年■マガジンハウスの『Relux』の編集Nさんからアジャンタについて書いて欲し言われる。「私もアジャンタでマトンカレーに目覚めましたが、きっかけは、4年前ぐらいの『BRUTUS』カレー特集の遠藤さんのコメントでした。今でもくさいマトンカレーを食べたいときはアジャンタに行きます」。ただマトンを食べているだけなのに、自分の流派がいたような気がしてうれしくなる。快諾。
2004年■山崎マキコさんの連載「…ってこんな仕事」で、山崎さんがアジャンタの店員を体験する。
2004年夏頃■アジャンタに行くと「いまエンドウさんの噂していました。今度、うちのまかないのカレーを食べてください」と言われる。あまりの嬉しさに放心状態になる。ちなみに、まかないのカレーというのはドンブリ状の器にさまざまなカレーが盛られた、みたところ料理というよりも世界模型のような物体。ドンブリを、外向きに並んだ象さんが支えているような妄想にかられる逸品。
2005年■ヨーグルトライスは奇っ怪な食べ物だ。ご飯にヨーグルトが混ぜてあるだけのものなのだが、時間経過で、どんな化学変化が起こるのか粘っこくなる。「インド寿司」と呼びたくなる。15年前に1度食べて「今後15年は食べないであろう」と予測したが、そのとおり15年して食べることになる。今回は、意外や酸味が減って食べやすくなっている。ちょっとクセになりそう。
2006年■『東京人』に「評判の<南インド料理>を食べてみる」を執筆(http://www.toshishuppan.co.jp/ back_shousai.php?id=115)。アジャンタは、世界最初のノートPC「TRS-80 model 100」のタンディ側担当者のサダさんが、日本に留学生でいた1960年代、東京には本格インドカレーを出すお店が4軒しかなかったという話で出てくる(4軒というのはアジャンタ、ナイルレストラン、中村屋、アョシカ)。
2006年末■月刊asciiの「フラット化」の特集記事の扉でアジャンタに協力していただく。インド人の店員さんに地球の形をしたビーチボールを手にしてもらって撮影。
2007年■アジャンタが創業50周年を迎える。

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アジャンタのカレーたち。


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