2009年06月 の記事
2009年06月30日 11時33分 [ Blogmag ] [ サービス ] [ ネット ]
ご愛読いただき、ありがとうございました。
2年間に渡ってここASCII.jpで続けてきたコデラノブログ3も、本日で終了である。
移転先をどうしようかいろいろ考えたのだが、やはりブログ形式で論を書ける場は必要だと思い、自前でコデラノブログ4を立ち上げた。盟友津田大介はTwitterに活路を見いだしたようだが、僕の場合はクドいと言われつつもやはりゆっくり考えて論をひねるのが好きなのだ。
3行でモノが言えるタイプの人もいて、世の中的にもそれを求めているという流れではあるのだけど。変な誤解を排除しつつ、複雑な話をわかるように人に話を伝えるためには、やはりそれなりの文字数を以て書くという方法も、なくならないのではないかと思っている。
もちろんTwitterのようなツールには、拡散力と瞬発力があり、うちの猫もつぶやいているぐらいだから、それはブログとはまた違う性質を持っているのであろう。それらの特徴をうまく捕まえながら、僕もTwitterでも発言して行きたいと思っている。
7月移行、ここがどうなるのかは、まだ聞いていない。このまま残しておくのか、それとも消えてしまうのか。編集部もいろいろ忙しいようだ。
これまでご愛読ありがとうございました。では、続きはコデラノブログ4で。またこれまで小寺信良を支えてくれたASCII.jpの皆さんに感謝します。
2009年06月27日 20時31分 [ Blogmag ] [ サービス ]
4号棟建設予定地
今月いっぱいで終了する本コデラノブログ3であるが、とりあえずの移転先としてコデラノブログ4を作っておいた。このままTwitterでもいいかとも思ったのだが、まとまったエントリーを上げる場所もあっていいかということで、ブログを続けることにした。新天地はライブドアブログである。
実は7年前、あるプロモーションのためにライブドアブログで1ヶ月ほどテストしたことがあったのだが、テスト終了後、中身を消してそのまま放置していた。いや、やめるならちゃんとアカウントも停止しておくべきだったのかもしれないが、当時ホリエモン帝国であったライブドアブログは、無料アカウントはメールアドレスだけで作れるが、ブログの削除は個人情報を丸ごと渡さないと削除できないという極悪非道厚顔無恥なシステムになっていたのである。もちろん、今はそんなことはない。
そういえばあのアカウントはどうなってるんだろうとログインしてみたら、まだ存在していた。空っぽのブログもまだそのままあったので、いったん全削除して新ブログとして立ち上げ直したというわけだ。
久しぶりに個人ブログに映ることになる。これまでは商用ということで自重していた事も、いろいろ書ける、かもしれない。
2009年06月26日 20時33分 [ Blogmag ] [ ネット ]
EtherPadはいまいちだった
以前、共同編集ができるWEBサービスとして紹介したことがあるEtherPad。
先日MIAUの中川君と共同でテキストを書く必要があったので、2人で使ってみたのだけど、日本語を同時に入力しようとすると、文字の入力ポイントがテキストの先頭に吹っ飛ばされてしまうという現象が起こるようだ。
誰が入力した部分なのかがわかるという点でのメリットはあるが、同時入力が出来ないのであれば、Google Docsで十分である。日本語が通るという点ではワールドワイド対応と言えるのかもしれないが、もうちょっと成長を待ちたい、といったところか。
2009年06月24日 21時34分 [ Blogmag ] [ カメラ ]
幸福確認機
今日はCanonの新しいビデオカメラの内覧があって出かけてきた。詳細は情報解禁前なので書けないが、僕が一般にCanonびいきと言われるのには、わけがある。いくらもらってるんだなどと邪推する人もいるが、お金をもらっているわけではない。
Canonはいつも、内覧会のあとに昼食会や夕食会などを開いてくれて、設計者、マーケティング担当者と膝つきあわせて本音で話しをさせてくれる席を設けてくれる。そこでいろいろ考えさせられるテーマをぶつけてきてくれるところが、他のカメラメーカーとスタンスが違うところなんである。いやこんなことは書いちゃ反則なのかもしれないが、オレはココロにダムがない人間なので、書いちゃう。
僕は個人的に、ビデオカメラの画質がいいとか悪いとかってのは、実に底の浅い議論だと思っている。そんなもの、時代が解決するのである。そうじゃないんだ。撮像機器として、10年スパンで考えたときに、どこに向かっていくのか。いやどこに向かっていくべきなのか。そういうことを、今日明日の製品レベルではなくて、話を聞いてくれて、話をしてくれる、そしてその話が通用する会社であるということを信じているのだ、と言える。
今日キヤノンから投げられたボールを僕なりに考えてみたときに、まあどんなボールを投げられたのかは秘密なのだけど、ビデオカメラってのは、自分の幸福確認機という本質があるんじゃないか、と思い至った。1970年代に、ビデオカメラでニュース取材をするENGが脚光を浴びたのは、何だったのか。
それは、他人の不幸をいかに生々しく映し出すか、ということだったのだと思う。そうしてテレビを通じて人の不幸を生々しく受け止めた一般大衆は、「オレ達はあの人達よりはマシだ」と確認することで、今あるささやかな幸福を支えに生きる希望を見いだしたのである。
そして今も、ニュースはその役割を果たし続けている。仕事がない、家がない、不細工だ。そういう人たちよりはマシだという比較対象を、生み出し続けている。家庭用ビデオカメラも、そういう報道用途としての形、すなわちテレビ局ニーズをダウングレードした格好で、この30年やってきた。
しかし、もうすでにその意味合いが変わって、次の30年に入りつつある。次のフェーズとは、今ある現実の幸せを、より拡大して見せてくれるためのカメラ、である。目の前の現実をそのまま映し出す事は終わり、目の前の現実を、目視以上に良く見せてくれるもの。それが次の30年で求められる物だ。
スチルカメラが未だに滅びないのはなぜか。それは、絵が止まるよね、というおもしろみだけで残っているわけがない。目の前の現実を、それ以上に拡大して、小さな幸せをより大きな幸せに拡大して見せてくれる技術、それが今だに残っている理由であると考える。
多くの人がビデオカメラを持つに至った現代、すでに撮影時にナマの現実に向き合っている者に対して、さらに現実を突きつける必要などないのだ。それよりも、カメラで撮ると現実がこんなに良くなるんだ、という幸せを見せてくれるものこそ、次の30年に求められる性能だ。
誰でも取れる、というのは、カメラが抱えていた大きなテーマであった。それは古いカメラをいじくってきて、いかに普通に撮ることをが難しかったのかを、自分なりに体感してきたつもりだ。
しかしそれがクリアされたあと、次のステップは、「予想外に良く撮れる」ことなのだろうと思う。それは画質云々ではなく、表現の領域である。絞りやシャッタースピードを変えれば、ある程度表現できることは、カメラの仕掛けを知っている人ならわかる。しかし、そうではない人に対して、そういうプリミティブな仕掛けをいかに簡単にアクセスさせるか、の領域に入ってきているのである。
アートワークを、一般人がやっちゃいけないのか。一般人はアーティスティックな表現がわからないのか。それは違うと思う。専業アーティストでなくても、アートワークをやる権利は、誰にでもある。そういう豊かな国に、日本はようやくなったのだ。
僕は、そういうことをやれるのがカメラメーカーの責任だと思っているのだけれど、実際はキヤノンよりもソニーのほうがそういうことに理解がある。ソニーは、売れる見込みがなくても、「出すべき」製品を出し続けている。それは、販社の意向が強すぎない会社のベストバランスだ。
キヤノンの課題は、マーケティングの意向のさらに先を読んで、未来を示唆する製品が投入できるか、ということだと思っている。
自分に合ったものが欲しい、というオレ様基準主義が通用したのは、自分大好きなゆとり世代がメインの消費者層だった時代だけである。今は、自分を変えて欲しいモノが欲しい。そういう時代に突入しつつあるのだと言える。
2009年06月23日 22時18分 [ Blogmag ] [ ネット ]
文字コードの問題を考える
日本で発売される携帯電話に汎用OSが乗ると言うことは、PC並みに文字コードの問題が発生すると言うことでもある。Unicodeに絵文字を入れるという動きもある中、日本の漢字はいったいどうなっちゃうの? という問題を勉強する機会として、MIAUで勉強会を開催することになった。
来週の金曜日である。興味のある方は、ぜひご参加いただきたい。参加申し込みは、メールだけでなく、今回からフォームでも申し込みできるようになった。小さいことからコツコツと。
2009年06月20日 00時18分 [ Audio ] [ Blogmag ]
今はギターアンプなどいらないらしい
ベースと一緒に買ったのが、BOSSのTU-88というチューナー。なぜか買い物に行く前日に、Roland USから新製品情報としてメールが来ていた。
チューニングするときに使うものだが、機能充実で、ヘッドホンアンプが内蔵されている。つまりベースからこいつにぶっこんで、ヘッドホンを繋げばそれだけで練習できるんである。メトロノーム機能はまあ大したことはないが、外部入力もあるので、これにiPodとかを繋げば、音楽に合わせた練習もできる。
電池駆動なので、どこでも弾けるというのはすばらしい。ヘッドホンアウトから出力を取れば、適当なアクティブスピーカーで音出しも出来る。これが5,980円ぐらいなんだから、もう世の中どうなってんの? って感じである。
楽器関係、安いなぁ。
2009年06月18日 23時56分 [ Blogmag ] [ 社会 ]
ナニゲにバンドブーム?
これまでテニス一辺倒だった上の娘が、突然軽音楽部に入ってバンドやると言い出した。たぶんアニメ「けいおん!」の影響は、関係ないと思う。娘は全然見てないし、高校生にはあまり流行ってないみたいである。
まあしかしそれは重要な問題ではない。だいたいバンドってのは、誰か熱烈にやりたい人が無関係な人間を巻き込んで結成するものなのである。
担当はベースになったという。僕自身は若い頃からずっとバンドをやってたので、ロック系の楽器は一通りできる。ただベースだけはどういうわけか、ステージでやったことがない。たぶん、いつもベースは上手い人が一緒に居たからだろう。
久しぶりに楽器をいじるならベースもいいな、ということで、僕と供用で使うからという名目で先週の日曜日に買いに行った。お茶の水である。
お茶の水はすでに楽器街としては下火という評判もあるが、僕にとっては27年前に東京に出てきたときの夢が埋まっている街だ。足繁く通った楽器店の多くが健在で、懐かしかった。
楽器や巡りをしていて思ったのは、高校生ぐらいの子が一人あるいは友達と楽器を見に来ているのが多かった事である。あそこは明大などが近くにあることから、昔は大学生ぐらいがメインの客層だったのだが、年齢がグッと下がってきている。
ギターやベースも、入門機はかなり安く、最低ラインは2万円ぐらいである。しかしベテランの店員さんと話したのだが、昔の2万円の楽器は本当にしょーもない出来だったが、今の2万円楽器はかなりレベルが上がって、入門だったらまあ2,3年は練習用として十分いけるレベルだそうである。
いくつか弾いてみたが、もちろん高いものに匹敵するわけではないものの、昔少年ジャンプかなんかの裏表紙に載っていたトムソンのストラトなんかより、全然マシなのであった。何で知ってるかというと、最初に買ったギターがそれだったからである。
今から楽器始める子は、幸せだよなぁ。
2009年06月16日 23時45分 [ PC ] [ カメラ ]
デジタルペン? 登場
コンセプト発表から長い間待たされたオリンパスのマイクロフォーサーズが、ついに発表された。やはりかねてから噂されていたとおり、ハーフカメラ唯一の一眼レフ、PEN Fをイメージしたカメラになっているようだ。
デザイン的には、PEN Fの形は今も決して古くさくない。前にも書いたことがあるかもしれないが、数年前、グッドデザインアワードの取材に、フィルムが余っていたPEN Fを持って行ったことがある。それをテーブルに置いて、出典品の別のカメラを触っていたら、順々に回っていた女の子が突然僕のPEN Fを手に取り、いじり始めたのである。
「すいませーん、それ私物ですーw」
「あっ、ごめんなさーいw」
的なやりとりがあったわけだが、グッドデザイン賞の候補作品に混じって置いてあっても不思議ではない、完成されたシンプルさがあるカメラなのだ。
今回の「E-P1」は、そんなPEN Fの雰囲気がある。仕事で使う買い物ではないので、さすがに10万円オーバーはすぐには買えそうにないが、価格がこなれるお誕生日ぐらいまでにはなんとか手に入れたいなーとこんなところで妻に向かって主張してみる。
2009年06月12日 21時24分 [ Blogmag ] [ 書籍 ]
今の経済じゃない経済の話
人間40を過ぎると、だんだん一つの専門家ではなくなっていって、いろんなことに手を出したりするようになる。会社を立ち上げる、転職する、趣味を始めるなど、そういう転機もまた40を過ぎたあたりで考え始めるわけである。
さらに世の中には器用な人がいて、全然別のことをやらせてもそれなりに上手くやってのけてしまうタイプの人もいる。
斉藤賢爾先生は、以前慶應義塾大学 DMC時代にMIAUのシンポジウムに出ていただいたことがある。ネットワーク技術者・研究者という立場でダウンロード違法化の問題点について語っていただいたが、今回「不思議の国のNEO」という本を出版された。
ネットワークの仕組みをわかりやすく物語りとして解説しながらも、それがグルッと回って金本位主義の今の経済じゃない経済も可能なんじゃね? というシミュレーションになっている。一見子供向けに書かれているような体裁をしているが、実は大人が読む本である。
斉藤先生はこういうことを考えていたのかー、と思うと同時に、小学校5年生ぐらいでこの本に出会う子供は、将来資本主義社会を変えてしまうかもしれないなー、などと夢想する。
おもしろい。
2009年06月11日 00時19分 [ Audio ] [ Blogmag ]
My Music Style本
これまで何度か取り上げてきたオーディオのイベント「My Music Stye」が、本になった。
中身を読んだのだけど、いやあよくもこれだけのオーディオセットを揃え、写真をきっちり撮り、解説を詰め込んだものである。とにかくその労力には、凄まじいものがある。
これまでのオーディオ評と違うのは、スペックを全く載せていないことである。周波数特性だとか、そういうことからの性能予測というのは、旧来のオーディオマニアのやり方だ。しかしその手法を取らず、音の分離や低音・高音のバランス、張りといった、「聴いた感じ」の評に徹している。
こういう評は、聞き手の主観に支配されるとして、旧来のオーディオ評ではなかなか受け入れられないものだが、これからオーディオに興味を持つ人からすれば、カタログスペックの読み方よりも、この機材はこういうタイプ、といったラベリングのほうが、受け入れやすいのだろう。要はコーディネータのお薦め、というわけである。
価格にはこだわらず、高いからいいという方針を最初から捨ててかかっている。リーズナブルなセットあり、iPod再生前提のシステムアップあり、ロック魂専用セットありと、現代のリスニングシーンを代表するチョイスが面白い。
次回のイベントは7月26日、場所は以前取材した場所と同じ、恵比寿である。
夏のイベントということで、また涼しげな浴衣姿のスタッフがお出迎えしてくれるのだろう。本で紹介されたオーディオセットが、実際に聴けるかもしれない。
オーディオは、静かに復権しつつある。
2009年06月10日 00時10分 [ Blogmag ] [ 社会 ]
とりあえず撮っておけ
写真を撮ることは好きなのだが、街の雑感のようなものを撮るのが苦手だ。
元々自分で撮影を始めたのは、ビデオ編集用の合成素材をライブラリ的に撮っていたのが最初である。それからレビューとして撮影するようにもなったが、なにせメディアに載せる映像なので、プライバシーに関わる要素を極力排除し、アングルなども含め、Anonymous的に撮影することを常に念頭に念頭に置いている。
どうもそういうものばかり撮っていたから、身近な町並みや家並みといったものに対峙すると、どう撮っていいのかわからなくなってしまったようだ。あんまり正直に撮ると、なんだか不動産屋の物件写真みたいなことになって、自分でイヤになってしまう。
でも、撮っておけば良かったなという思いは、潜在的にはある。同じ町に10年も暮らしていると、建物や駅前の様子が変わったりする。商売が入れ替わったりすると、「あれ? 前は何屋さんだったっけ?」と思うのだが、どうしても思い出せない。そういう経験は、誰しもがあるものだろう。
たぶんそういうのは、撮るだけではなく、日にちや目的なども含めて、きっちり記録・分類しておかないと意味がないのだろう。ただ、今の風景に対してそこまでの価値を見いだす気力が、自分には持てないということなんである。
そういうことをエラくきっちりやっていると、貴重な記録映像となって後の世の人に貢献できるのである。最近知ったのだが、長崎大学付属図書館が公開した江戸、明治期の写真データベースは、眺めているだけで相当たのしい。
この時期は写真の意味がそもそも違っていたのだろうが、こういった試みを今の段階から、ネット上で自動化できるような取り組みをしておいて欲しいものだ。我々がジジイババアになったとき、それらの写真から若かりし頃の思い出の町並みが再現できるかもしれない。
2009年06月04日 23時41分 [ Blogmag ] [ 放送 ]
アキバガード下と東急ハンズの間にある越えられない壁
秋葉原駅高架下にある秋葉原ラジオセンターは、僕が東京に出てきた27年前から今も、同じようなたたずまいで存在している。僕にとってはまさにあそこが秋葉原を体現しているようなもので、よく電機部品や線材、工具などを買いに行ったものである。道具箱に入っている工具のほとんどは、あの界隈で買ったものだ。今でも用がないのに、駅から中央通りに出るときに、あの小さな路地のような界隈を抜けて出ることがある。
変わらないことがいいこと、というのは、我々の勝手な妄想だろう。現状のままでは、あの界隈はあと10年保たないと思う。それは建物の老朽化という意味ではなく、存在意義という意味で、である。
例えば今、小さな電気部品をバラで買う必要のあるような人が、世の中にどれだけいるのか。昔あのような部品屋台が繁盛したのは、電気工作が盛んな時代であったり、ちょっとした機械ならば自分で作ってしまうような器用な人たちが居たからである。それはホビーとしても、仕事としても、日本の電気工業というのは、そういう形だった。
しかし今はどうだろう。ほとんどの測定、設計、シミュレーションはコンピュータ内でやるものである。簡単な機械の試作などは、中国の仕事だ。パーツ買ってきて自分で組んだ方が安い、というのは、電気機械もパソコンも、もはや過去のものである。
では今、あのパーツ街の意義は何かと言えば、すでにメーカーでもとっくに保守部品切れの機材の修理とか、あるいは改造とか、これまでにないものを作ってみるとか、そういう道なき道を歩む人たちのために存在している、というのが真実ではないかと思う。
そのことを、売り手のオジサン、今はもうオジイサンになってしまっているが、その人たちは気づいているのだろうか。いやどうやら、昔ながらの商売のままなのだろうし、だからこそあそこの場所に居続けるのであろう。
先日、カメラの露出計に使えそうな電圧メーターを物色にいったのだが、メーター専門店のオジイサンは、電圧とか仕様とか、そういうものがわからないんじゃ売れないという。こちらとしてはどうせ分解して中身だけ使うので、そこそこ低電圧で振れて、コイル部分の寸法さえ合えばなんだって構わなかったのだが。
メーターとしての外側の寸法はわかるが、その中身に関してはまったく関知していないようだ。つまりきちんと設計され定格が決まっていれば、それに見合う部品を出してくることは出来る、逆に言えば、部品はこんだけしかないんだから、これが合うように組めよ、ということなんである。
が、道なき道を歩む者に対しての知恵というかアドバイスというか、自分の知識を応用して客の問題を解決するというスキルを、彼らは持ち合わせていないのである。
まあそれは、これまでの需要の中ではそれで済んだのだろう。しかし今、そういう需要はないのであり、だからあの界隈は後継者もなくシャッターを下ろし始めるような状況になっているわけである。
無理を承知で僕がパーツ街に求めるのは、電機部品の東急ハンズ化である。ハンズは品揃えがいいというだけで存在しているわけではない。これまでにないようなもの、普通個人ではやらないようなこと、まず市販品では売ってないようなものを自分で作るにはどうしたらいいか、ということに関して、店員が高い専門知識を持ち、何が何でも問題を解決してみせる力量がすごい。実際わけもわからずハンズに行って、解決したことは多い。
商品としてみた場合、決して他店より安いわけではないのだが、困ったときになんとかしてくれる店員のスキルに金を払っているわけである。
秋葉原のオジサン、オジイサン、そして若いニイチャンも、潜在的にはスキルは高いはずだ。ただ、商売のスタンスが顧客ニーズと合致していない点は、否定できないだろう。
そういう客はアキバに来るな、と言われるかもしれないが、僕に言わせれば客に併せて変容するのがアキバのアキバたる所以である。僕はガード下を、このまま化石化したくないのだ。
しかしこんなことを、パーツ屋台のオジイサンに言っても、始まらないのだよなぁ。
2009年06月02日 22時10分 [ Blogmag ] [ ネット ]
紆余曲折アリ
早いもので、コデラノブログがここASCII.JPに居を移したのが、07年6月末のことであった。最初はITmediaで商業ブログとしてスタートし、そこが終了して個人ブログに、そしてASCII.JPで再び商業ブログとして約2年続けてきたわけだが、この6月いっぱいで終了、ということになった。
ビューはそれほど悪くなかったとは聞いているが、やはりこの大不況の中、ブログエントリーのビューをビジネスに結びつけるところが難しかったようである。
とりあえずはどこかのブログサービスに移転先を作って、「コデラノブログ4」を立ち上げようかとも思っているが、まあまだわからない。日々発信したいことを、このままブログというスタイルでやっていくべきなのか、それともTwitterをもうちょっと活性化すべきなのか。あと1ヶ月でゆっくり考えてみたい。
ちなみにTwitterのユーザー名は nob_kodera なので、フォローよろしく。あとうちの猫も sorakichi でつぶやいているので、そっちもよろしく。
場所は変わっても、人は変わらない。どこに移転しても、同じようなギロ目で世の中睨んでいきたいと思っている。
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