コデラノブログ 3

2009年05月 の記事

キヤノン D5mIIが動画機能強化

写真用レンズでハイビジョン動画が撮れるとしてプロも大注目の「EOS 5D Mark II」が、今度動画機能をファームウェアのアップデートで強化するようだ。

これまでは動画撮影時はISO感度や絞り、シャッタースピードなど、露出に関するものがフルオートでしか使えなかったのだが、それらをマニュアル指定できるようになるという。さすがに高い機種なので、すぐに後継機というわけではないようだ。

これでまた改めて、動画機能が気になっていた人たちが、一気になだれ込むかもしれない。中古のレンズや、マウントアダプタがインフルエンザ時のマスクみたいなことにならなきゃいいけど。

ヘッドホンお得? 情報

先週の金曜日、こないだ打ち合わせまで少し時間があったのでアキバを少しぶらついたのだが、千石電商で以前レビューしたこともある、Maxell「Vraison」のヘッドホンタイプが2,980円で10個程度売られていた。

圧縮音源の音質改善効果が見込めるユニット付きなのがウリで、3年前には3万円程度で売られていたものだが、あんまり売れなかったのだろうか。技術としては悪くないと思うのだが。

ヘッドホンはオーディオテクニカの「ATH-A500」と同じである。これ単体では7000円ぐらいの売価なので、ヘッドホン目当てだけでも結構安い。

土日を挟んでしまったのでもう売れてしまったかもしれないが、金曜日にウォッチする限りではあまり注目度も高くなかったようなので、時間がある人は探してみるといいだろう。

ケンコーコムらが訴訟

商業ニュースサイトでは結構取り上げられているものの、ネットの住人のリアクションが薄い話題。

薬事法改正によって、医薬品がネット販売できなくなるというのはご存じだろうか。一部離島などに限って2年間の経過措置が執られるようだが、MIAUのメンバーがこの問題に貼り付いている。

議論の成り行きを見ていると、ネット販売禁止派も、そもそも自分たちが何を守ろうとしてるのかわからなくなっちゃって、振り上げた拳の落としどころがないうちに改正薬事法の実施が迫って来ちゃってるという具合のようだ。

これに対して、ケンコーコムとウェルネットが行政訴訟を起こした。楽天の三木谷氏が訴訟の構えを見せていることは知っていたが、それに先行するところがあったのは驚きである。

ネットでの医薬品販売は、ネットユーザーにとって、メリットとデメリットが見えにくい問題だ。持病を持っていない人なら、特にそうだろう。ネットで薬が買えるより、コンビニで夜遅くまで薬が買えた方がメリットがあると考える人もいる。

だがそれも落とし穴があって、コンビニの店員に薬品の知識まで求めるのは無理があるし、そもそも24時間交代で勤務してくれる薬剤師がそんなに沢山いるとも思えない。結局薬品入手の利便性は、日中に薬を買いに出かけられる人のみが享受するだけという、現在と大して変わらない事になるかもしれない。

さらに対面販売が原則となると、買いにくい医薬品も出ることだろう。例えば妊娠検査薬や、インキンタムシの薬、育毛剤、シワ取りクリームなど、性と美醜に関わるものは、誰かに対面することなく買える方法もあっていい。

MIAUの正会員に聾唖のメンバーがいるのだが、彼らにとって、薬局などで対面で薬を買うことの方が難しいということを初めて知った。それよりもネットで薬の詳細な説明がゆっくり読めて、他の薬品との比較もできて、評判なども含め自分でしっかり確認してから買える方が、よっぽど安全なのである。

既存事業者はあくまでも対面販売にこだわることでネットを排除するのだが、それが健常者のことしか想定していないというのは、医療に関わる者としてあまりにもバカ過ぎないか?

もうちょっと時間をかけて、ちゃんと考えたほうがいいよ、この問題。

Symbian再び

Symbian OSが、ネットブックに載せることと計画しているようである。

Symbian OSと言えば、昨今は携帯電話OSとして知ってる人は知ってるという存在だが、かつてはPsionやNetBookといったPDAのOSとして知られていた。これがまたあらためてネットブック(話がややこしいが)に載るというのは、なかなか興味深い。

Psionユーザーだった筆者が期待するのは、OS純正のスケジューリングソフト「Agenda」をそのまま載せてくれないかなぁということである。あれは本当によくできたソフトで、海外に行ってタイムゾーンが変わっても、日本で入力した現地時間の約束時間がむちゃくちゃにならないという、実に優れた特性を持っていた。あれを移植するだけで十分売り物になるぐらいだと思っている。

あとはやっぱり、日本語が通るかどうかだなぁ。かつてPsionも日本語が通る以前から使っていた強者もいるのだけど、アポイントを入力する時には、人の名前や住所など、どうしても漢字がわからないと困るケースもある。

まあいったん出てしまえば、腕に覚えのある剛の者がわらわらと集まってなんとかしてしまうのだろう。筆者はそういう人たちのあとからくっついて便利に利用させていただくだけしかできない情けない立場だが、そういうお祭り騒ぎに参加できるのが、今から楽しみだ。

うまくリリースまで漕ぎ着けてくれればいいのだけど。

Windows 7の64bitはイカス

手持ちのVAIO Type TZ93NSに、Windows 7を入れてテスト運用している。最初は32bit版をいれたのだが、どうも再起動間際にブルースクリーンに落ちて、正常終了できないという問題があったので、64bit版を入れてみた。

いやもうさすがにWindowsと言えども、もうそろそろ64bitになっていい時代かもしれない。メモリーも安いし。

しばらく使ってみているが、再起動時の不調は特にないようである。難点と言えば、タッチパッドの専用ドライバがないので、パッドの端っこをこすってスクロールするという機能が使えないのが難点か。まあブラウザだけなら、Firefoxに適当なアドオンを入れてしのげるので、すごく困ったというわけでもない。

もう一つ不具合と言えるのかどうかわからないが、休止から復帰するときに、途中で止まってしまうことがある。以前なら面倒な事態だが、Windows 7の場合は電源長押しで強制電源OFFしても、次に電源を入れると、復帰シーケンスを続行するか、それともクリアして起動し直すかを選択することができる。このときシーケンス続行を選ぶと、うまく復帰できる。

さすが生え抜きのチームが作ったOSだけあって、エラーのカバーも抜け目ない。Vistaはまったく期待はずれだったが、Windows 7は正規版が出るのが楽しみだ。

受験生は要注目

金沢学院大学というところで、今年度の入試問題に僕のコラムが使われたそうである。

そう聞いて連想したのは、サマータイムの思い出を綴ったこのコラムだった。

これは公開時からわりと評判が良く、のちに自民党関連団体の会報誌にも掲載されたりした。まあサマータイム推進派へのサービスとして採用されたのかもしれないが、本文自体は正面から推進しているわけでもない。

だが実際に入試に使われたのは、「ブログに問われる書く技術、話す技術」というやつだった。約4年前に書いたものだが、これは公開時には評判が悪かった。特にブロガーからは、相当こてんぱんにやられたものである。

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しかし今読み直すと、日本語の特徴を公平な視点で捉えており、バランス的にも悪くない内容だと手前味噌ながら思っている。他にこの手の日本語の特性に興味があるのなら、平坦化イントネーションの事例を扱ったこれも面白いと思う。

難点を上げるならば、問題に使われた文章では、ITmediaに掲載のリード文まで掲載されているところだ。しかしこのリード部分は、担当編集者が本文の概要としてまとめたものなので、これごと問題文として掲載されると、そこが本文と重複してややこしくなる。もし次回どこかの大学で僕のコラムを採用することがあるならば、リード部分は取っていただいたほうが、受験生に混乱がないと思う。

さて実際に入試問題に使われてわかったのだが、当然入試実施前には連絡が来ない。あくまでも事後報告である。まあそれはそうだろう、試験前に題材が漏洩するのでは、洒落にならない。

著作権法では、第36条に「試験問題としての複製等」という項目があり、試験問題で使用する場合は複製や公衆送信ができることになっている。よって断わりなしに使っても構わないわけである。

ただ、試験問題というのは過去問題集などに再録される。それは営利目的ということで、使用料を著作権者に支払うことになっている。今回はその使用料として、日本文藝家協会の基準に従って2100円が支払われるということである。

実はこの使用料に関しても結構古くからいざこざがあり、その辺に関してもコラムを書いている。オレ守備範囲広いですな。用意周到ですな。これも4年前に書いたものだが、今でも内容はそれほど古くなっていないように思う。

今年はもう一つ、試験問題に使われた著作がある。東京大学大学院 情報学環の文化・人間情報学コースで、津田大介氏と共著の「Content's Future」の一文が、論文の問題として出題されたそうである。これは今年度ここに受かったジャーナリストの昼間たかし氏からお礼と共にメールが来たので、間違いないと思う。

まあここから出題されるというのはこういっちゃなんだがしごく当然で、この本はコンテンツ政策に関わる総務省・経産省・文化庁なんかで相当読まれているそうである。ちなみに昼間氏が最近刊行した「マンガ論争勃発2」では、僕がMIAU設立のいきさつなどをしゃべっているのが収録されている。

おそらくこれから、社会情報学が注目され、必然的にそういう情報学系の入試問題としてメディア論やコンテンツ論などが取り上げられることが多くなると思う。しかし、これだけ話題にはなっているが、まとまった論というのは案外少ない。

もし受験生でそっち方面を受験するのであれば、僕のITmediaのコラムを過去5年ぐらいをさかのぼって、メディア、コンテンツ関係のものを読んでおくといいかもしれない。いやまた問題として出題されるということではなく、この手の論に慣れておいた方がいいということである。

関連するものはたぶん量にして20本もないと思うので、まあ1〜2時間で読めるだろう。あとそれらを本にまとめたものもあるので、そっちもこそっと宣伝しちゃおうかな。

(と書いたのだが、今調べたらバックナンバーのリンクにはそこまで古いものは載っていないようだ。やっぱり本を買っていただくしか…うひひ。まいどあり。)

ビジネスメールの勘所

週刊誌の「PRESIDENT」が最新刊で、文章の書き方特集をやっているようである。

ビジネス文章の書き方のようなものは、以前から企画書や報告書などいろいろな指南書が出ているわけだが、そこにメールが入ってきているというのがここ数年の特徴である。今の新入社員なら、メールの使い方は慣れたものだろうが、上司や取引先など、これまでには居なかった関係の相手に対してどういうメール文章が望ましいのか、悩むところであろう。

日本語には丁寧語、尊敬語、謙譲語など、身分の上下関係を厳しく定義する言葉があり、これらの使い分けはなかなか難しい。しかしまあ、ビジネスの現場にメールが入り込んできてもう10年余りが経過するが、未だに変な日本語のメールが送られてきたりもするので、そんなに緊張することもない。

もちろんうまくできるに越したことはないのだが、多少おかしくても、相手に失礼のないように最大限の努力した跡が見られれば、大抵の人は笑って許してくれるものである。許されないのは、敬意が感じられないことだ。

特に新人諸君が気をつけなければならないのは、君たちはビジネス社会というピラミッド構造の底辺のしかも端っこんところの一歩間違えば砂にめり込んじゃってる石に相当する立場であり、君たちよりも下は存在しない、ということである。

子会社の人間や雇用者に対するメールでも、まずは君たちから敬意を払わなければ、相手からも敬意は払われない。どんなに実力主義とか成果主義とか言っても、まだ君たちは何の成果も上げてないのだから、すべての人に敬意を払っておくというのが、筋というものである。あ、厳しい受験戦争に勝ち残ったとか、難関を突破して大企業に就職したとかいうのは、成果じゃないから。

コツとしては、あんまりくどくど書かないことである。挨拶部分などをあまり凝ってしまうと、それだけ墓穴を掘る危険性が増大する。丁寧に書くのは、ファーストコンタクトの時だけでいい。そこは先輩のメールなどを参考にしながら(最初はccとかされてきただろ?)、自分なりのテンプレートを見つけていくことだ。

しかし肝心の話の中身までは、はしょってはいけない。そこは丁寧に、相手に対していつまでに、何をして欲しいのか、つまりあなたのリクエストが何なのかをはっきりすることである。

相手とのやりとりが恒常化すれば、あまり挨拶にこだわる必要はない。要件だけシンプルに書き、最後に相手を気遣う一言を添える。

相手がやってくれるかどうかわからない時は、「検討依頼」である。「お忙しいところ大変恐縮ですが、よろしくご検討のほどお願い申し上げます。」ぐらいはさくっとひねり出せるといい。相手が定形で必ずやってくれるはずの要件の場合は、「以上宜しくお願いいたします。」ぐらいでいいだろう。

返事のタイミングは、未読メールを一通り確認した時点で、自分で決められる案件には即返事をする。上司・先輩に確認が必要な場合は、その場で相談のメールを投げておく。相手を待たせる案件の場合は、いつまでに結果が出そうかの予想を返信しておく。

ビジネスメールの要は、なるべく早めにタスクを誰かに投げておいて、自分が相手の処理待ちになることである。決して自分の方に返事が必要な案件を溜め込まないことだ。溜め込むと、必ずどれかを忘れる。

そして決定事項は、すぐTodoやスケジュールに落とし込むことだ。仮に忘れていても、処理できる現実的な時間を見越して、リマインダ設定も忘れないこと。

EtherPadがいつの間にか利用可能に

複数人で同時にテキストが記述、編集できるEtherPadがいつの間にかサービス利用可能になっていた。

登場したのは結構前なんだけど、ずっとサービスが混み混みで、レジストはしたもののずっと空き待ちの状態だったのである。リニューアルしたEtherPadは、レジストなしで誰でも利用できるようになっている。

例えばGoogle Spreadsheetは複数人で同時に入力可能なんだけど、Google Documentはそうはなってない。なってないよね? 以前試したときにはできなかった。

MIAUのような活動をやっていると、結構リリース文とかパブコメとかのテキストを書く機会が多いんだけど、これまでは誰かが書いたやつをメール添付で回覧して直すみたいなやり方だった。だけどその場で時間があるみんなでぱーっと分担して書ければ速いし、同時にコンセンサスも取れる。

これは物理的に場所が離れていても作業ができるという利点はもちろんだが、その場にメンバーが揃っていても、使う価値はある。これまでそういう同時書きというツールがなかったからである。

ほかにも、ブレインストーミングなんかで使ってみても、面白いかもしれない。チャットだと場所が流れて行ってしまうが、これだとスクロールして戻って、前の話題の部分に書き足したりできる。WEBサービスなので、OSに依存しないのもいい。

単なるテキストツールではあるのだが、どうやって使うか、こっちの頭を試されるようなサービスである。

「携帯電話は自転車と同じ」論がしっくりこないわけ

「子供に自転車を買ってやるときに、親がその安全性を確認し、安全に乗れるよう指導するものだ。携帯も同じである。」という論調がある。ネットではあまり目立たないが、委員会やシンポジウムなどではよく聞く話である。

親がもっと関心を持つべきという意見としてはもっともだとは思うが、この比喩にはなにか違和感を感じていた。それがなんとなくわかったような気がするので、書いておく。

我々は、自転車事故の何を知っているのか、ということである。たとえば車と自転車の接触事故ということにフォーカスしてみよう。車の交通量の多い大通りと、車通りの少ない住宅地の路地を比較してみる。大通りの方が自転車にとって危険であると思われているが、本当にそういえるのだろうか。

1年間の接触事故発生件数でみれば、大通りのほうがたぶん多いだろう。だが、車の通過台数に対する事故発生の割合をみてみると、大通りは交通量が多い割には、事故発生の割合は下がるのではないか。たとえば10万台に1件といった具合に。これと同じ統計を路地でやってみると、実は500台に1件ぐらいになるのではないか、という話である。

つまり見方を変えるだけで、どっちが安全かということは比較できなくなってしまう。交通事故のようなものは比較的単純な事例であると我々は考えがちだが、実はもう一歩考察を深めるべき時期にさしかかっているのではないだろうか。

子供と携帯電話の問題は、まさに社会問題に対してもう一歩深く踏み出すための、いいテーマなのではないかという気がするのだ。つまり、親がしっかりしましょうとか、ケータイを取り上げましょうといった単純な話ではなく、社会デザインとして、トラブルが少なくなるような設計をしなければならないんですよね? これまでそういうことはやってこなかったんですけど、これを機会にそれをやっていきましょうよ、ということなんである。

だが子供と携帯電話の問題は、活動が大きくなるにしたがって、また大手メディアがこの問題を取り上げるようになって、手順をすっ飛ばして単純化しようとしているのがすごく危険というか、加速度的に馬鹿が集まってくるというか。

今までの議論をもう一回ちゃんと踏まえましょうってのを、再確認しながら進まなければならなくなっている気がする。

B-CASはどうなりたいんだよ問題

ちょっと古い話題だが、丁度渡米していてチェックしていなかったので。

デジコン委員会の51回目で、B-CASに変わる新ライセンス方式が検討されているようである。

この記事を見ていると、議論はそもそも無料放送にスクランブルは要るんでしたっけ? というところがスタート地点だったと思うのだが、どうも雲行きが怪しくなって、要はB-CASじゃなきゃいいんだろ的なところにすり替わってきているようだ。

実際に権利者も、不便になって市場が縮小するぐらいならスクランブルはいらん、単にテレビ番組をネットに上げないということをルール化すればいいんじゃないの? と言っているのだが、もはや技術WGが暴走気味の感じがする。

これ、技術者ならわかると思うのだが、どうもこういう新規格の立ち上げというのは、技術者自身その検討そのものがおもしろくなっちゃって、本来どうなればいいんでしたっけ的なところを置いていきがち、というところをものの見事に体現しちゃってる事象にしか見えない。

さらにはB-CASのミニカードまで策定しちゃって、まだB-CASをやる気なんだろうか。

なんかどんどんむちゃくちゃなことになって行っているように感じるのが、気のせいだったらいいのだけど。

超誰得

僕がアメリカ出張中のことで、妻からすごい話を聞いた。

以前、うちの電話番号が某大病院の電話番号と似てるという話を書いたが、その続編である。

一度間違いでかかってきて、正しい番号を教えたのだが、またかかってきた。「今インターネットで調べたら、やっぱり病院の電話番号はお宅の番号だ、どうしてくれる」ということらしい。

いやどうしてくれるってw。仮にネットでその番号が載っていたとしても、事実としてうちは病院じゃないし、「すいません、隠してましたがじつはうちは病院でした」という展開になるとでも思っているのだろうか。それよりも早く正しい番号にかけてみたほうが、病気で困っている身内の方のためだと思うのだが。

だいたいうちが大病院の番号を騙って、何の得があるというのだろうか。それで病院になりすますならまだ話はわかるが、違いますよ、と言っているわけである。

ちなみにネットで自分の家の電話番号を検索してみたが、ヒットは0件であった。どうやらご本人は、サイトの電話番号も読み間違えているらしい。

大変残念なその方は、申し訳ないが着信拒否番号に指定させていただいた。人間、思いこんじゃうと後には引けなくなるものなのだろうか。恐ろしいことである。

教え損サイクルからの脱却

いつの世にも、そしてどんなものにも初心者というのは存在して、その人たちをいかに扱うかは、情報社会にとって難しい問題である。特に教える側がエキスパートになればなるほど、初心者とのギャップが大きすぎて、話が噛み合わないことが往々にして起こりがちだ。

仮に丁寧に教えたとしても、相手にそれを理解する知識がない場合、最短で問題の解決に至らせるのは難しい。一番やっかいなのは、教えられる側が「もっと初心者にもわかるように説明してくれ」と開き直る場合である。

仮に「初心者」という層があったとしても、その知識レベルは一様ではない。何ならわかるのか、というところから徐々に掘り返していかなければならないため、ほぼマンツーマンでのやりとりが必要になる。

教える側にとっては、「その特定の初心者がどれぐらいまでの知識量を持っているのか」を知ることに、何の利益もない。従って、「教えるのは面倒」というサイクルに陥っていく。

それを解決する方法は、今のところ2つある。一つは「教えて」系のサイトである。これはポイントなど何らかの対価を支払うことで知識を提供する側にインセンティブを与える方法である。

もう一つは「半年ROMってろ」と突き放す方法で、これは本当に半年黙ってみてればわかるという意味もある。だがネット的な視点では、半年前ぐらいさかのぼってログを読めば、同じようなことが繰り返し何度も書かれているのに出会うという事でもあるだろう。

ネットは大量の情報と、大量のコミュニケーションを生み出したが、それがゆえに多くの人は、道なき道を自分で切り開いていくということに対しての解決策を失いつつあるようにも思う。つまり、自分でいろんな可能性の組み合わせを試してみて、どうなるかを調べていくという方法論である。

ネットのどこかに情報があるはず、誰か知っている人がいるはず、というのはそりゃそうなのだが、そこにリーチする前に、自分でやるだけやってみるということは、決して無駄にはならない。少なくともこの方法はダメだった、という知識が得られるし、なによりも問題点に対しての深い知見を得ることができる。

もし自力で問題が解決できた場合は、そのトライアルの課程も含めて、情報をネットに載せておくべきだ。それは自分のメモにもなるし、何より誰かの役に立つかもしれない。ネットの知見とは、元々そうやって成長してきたはずで、ひたすら情報をPullするための仕組みではなく、Pushするための仕組みであるべきだ。

同じ情報であっても、アプローチが違えば、書き方も変わってくる。その多様性が、多くのパターンを持つ初心者層を救済することになるわけである。

Windows 7 RC

VAIO TZのデスクトップアイコンが、米国取材中になんか真っ黒になってしまった。無線LANの繋がり具合も変で、昨日まで順調に繋がっていたかと思うと、翌朝には全部のアクセスポイントを見失ったりする。

なんかいろいろ面倒なので、Windows7のRCに入れ替えようかと思ってなにげにアクセスしたら、すでに日本語版も落とせるようになっていた。日本向けには7日からという話だったが、もう公開されているようだ。

23時頃に落としたところ、それほど混んでいる様子もなく落とすことができた。もっともこれから混むのかもしれないが。

とりあえず今日はイメージファイルからディスクだけ作成して、明日インストールすることにしよう。

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