コデラノブログ 3

2009年01月 の記事

ネット安全安心全国推進フォーラム

文科省主催、「ネット安全安心全国推進フォーラム」リアルタイム中継。

iPhotoいいかも

先日発売開始されたiLife。言及すべきところはいろいろあるんだけど、今度はiPhotoがいい感じのようだ。

これまでのiPhotoってなんかローカルに巨大データベース作っちゃうし、何月何日に撮った写真を見つけて原稿用フォルダにコピー、みたいな仕事用途には全然向かないソフトだったのだけど、今回搭載された顔検知機能は家族持ちには便利だ。

これまで写真は日付別にフォルダ分けしてNASに突っ込んであるのだけど、家族の写真は手動で抜き出して別フォルダに入れるといった作業を定期的に行なってきた。そうしないと、仕事で撮る大量の写真の中に埋もれてしまうのである。

だがiPhotoの新機能を使えば、顔ごとに抜き出しグルーピングできるらしい。というわけで98年から今までの全写真を解析してるんだけど、終了まであと1300分_| ̄|○。あ、ただいま東芝REGZAの本村さんを発見した模様w

まあ最初だけみたいなので、しょうがないか。あと、猫の顔も検知しないかなぁ。オレ的には家族なんだけどなぁ。ていうか、特定の画像の範囲を指定して、それに類似するものが検索ができるようになると面白いと思う。

趣味で花の写真を良く撮るんだけど、花ごととか、色ごとに分類できたりするというのもいいな。なんとなーく色のトーンが似てるといった類似検索機能は以前SONYのデジカメDSC-G1に付いてたんだけど、後継機には付いてないのかな。アレ面白かったのに。

OSの完結度

Windows7をクリーンインストールしなおして、WEBアプリケーションを中心に使っている。IMEも標準ので頑張ってみようと思ったのだが、原稿の書き出しで「知財政策」を変換するだけで疲れてしまったので、ATOKさんに出動願うことに。

ほとんどの作業はネットにさえ繋がればできるのだが、送られてくる資料やなんかを開くのが案外大変だったりする。Wordの書類はGoogle Documentで開けるが、箇条書きの数字が変になったりするのが残念。MSのソフトなんだから、OSに専用ビューワーぐらい付けたらどうかと思う。おそらくほとんどの人は、Wordの書類を書く側の人ではなく、読む側の人なのだから。

あとPDFのリーダーぐらいは、OS標準でなんか開発してもいいんじゃないかと思ったなぁ。その点Mac OSは、標準のマルチフォーマットビューワーでPDFも読めるので、導入して最初に読むことになるドキュメントに困らない。そこはメリットがあると思う。

Linuxの場合も、ディストリビューターが気を利かせて最初からOpenOfficeとかAdobe Readerとかを組み込んでいる場合が多い。もちろん市販のPCを買えば、Windowsマシンでもそれらが組み込まれている場合も多いが、OSとしてクリーンで導入したケースで比較すると、Windowsというのは案外テキスト周りが自己完結していないよなぁと思う。

そのあたりが正式リリースでどのような方向になるのか、興味あるところだ。

EeePCとWindows7

EeePC 901にWindows 7を入れようとして挫折した件だが、その後無事SSDの交換にも成功し、しばらく使ってみた。

メモリーは1GBしか積んでいないが、7割ほど消費しながらも、まあまあの速度で動くことが確認できた。ただ、EeePC 901特有の問題で、画面のブラックアウト問題というのがある。Windows 7起動直後に画面がブラックアウトして、ログインできないという問題である。

解決策は2つあって、一端モニターを閉じてスタンバイに入ったあと、もう一度電源を入れると復帰するというもの。もう一つはBIOSを1101以前に戻すことである。

両方ともやってみたが、どういうわけか普通の使用中にもブラックアウトしてしまうようになってしまって、困った。こうなるともう強制終了して再起動するしかないので、ちょっとテストで使うにしても辛い。

もう一点の問題は、ウィルスバスター2009とものすごく相性が悪いということである。ファイヤウォールが動かないし、アンインストールにも失敗して身動きが取れなくなった。

もう一回クリーンインストールして、WEBツールを中心にどこまで行けるか、テストしてみよう。

モバイル放送ビジネスモデルの勉強会

CESで米Qualcommの「MediaFLO」の取材をさせていただいた。その結果は記事にしたのだけど、これ、日本で過去報道された記事を読むと、なんだかすごく誤解されたビジネスだと思う。

まあそれはある程度仕方がない面もある。米国でどういうビジネス展開なのかというのは現地に行かなければなかなか現物が見られないわけだから。あともう一つ、日本にはすでにワンセグがあるので、地上波の再送信ビジネスとしてMediaFLOが参入する意味がないので、別の使い方で訴求されていることも、誤解に拍車をかけるのだと思う。

日本での利用、それは、現在地域限定ワンセグなどが行なっている、地域振興策と被る。そんなわけで、日本の放送関連事業者はMediaFLOを敵視する雰囲気もあるのだけど、携帯向けのコンテンツ配信技術として、実際に米国で運営されているものを実際に見てみるというのは、勉強になるはずだ。よく知らないでうだうだ言うのではなく、実際にモノを見て、技術としての筋をちゃんと見極めるべきであろう。

というわけで、MIAUではクアルコム ジャパンの方を招いて、勉強会を企画した。電波利用問題、モバイル向けコンテンツ配信、ケータイサービスを使った地域振興などを考えている方に、ぜひご参加いただければと思う。

* 名称:第3回 MIAU勉強会「モバイル放送の新モデル ~MediaFLO~」
* 講師:小菅 祥之 氏(クアルコム ジャパン ビジネス開発シニアマネージャー)
* 開催日時:2009年2月5日(木)、19:30~21:30 (19:15開場)
* 参加者数:30名程度
* 会場:セシオン杉並 〒166-0011 東京都杉並区梅里1-22-32
https://www.yoyaku.city.suginami.tokyo.jp/HTML/0030.htm
(最寄り駅は丸ノ内線の東高円寺駅になります)
* 参加費:一般2,000円
(MIAU正会員は無料、来場時に正会員登録して頂いた方にも適用)

お申し込み
info @ miau.jp へのメールにて、お名前とご所属(MIAU正会員の方はその旨)をご連絡ください。


記事中ではあまり技術的なことに踏み込まなかったが、ばらばらの電波帯を束ねてまとまったコンテンツ帯域として利用する技術とかも持っていて、結構面白いのだ。技術的に興味があるかたも、ビジネスモデルに興味がある方も、是非ご参加いただければ幸いである。

EeePC 901xにWindows7βを入れようとしたら

入らなかった。8GBドライブのほうを選択したんだけど、実際には7.数GBしかないわけだ。今配布されているβは8GB必要ということで、ものすごく微妙な差で蹴られてしまった。Preβは入ったという話や、リカバリディスクを作って入れたという話は聞くが、やはりメインのストレージが4GBってのがそもそもいろいろ実験に使うには厳しいわけで。

ついバッファローの16GB SSDを発注してしまった。いや3,800円ぐらいだったのでいいかなと。カカクコムで調べたところイートレンドが最安だったのでポチッとしたのだが、支払いにEdyが使えるのは画期的である。実はこないだの渡米分のマイルを、ANA/Edyカードにて現金化したばかりだったのだ。

実用的かはともかくとして、次にUbuntuインストールするときも1ストレージで済むし、手頃な無茶ぶりマシンとして、まだまだ活躍してくれそうだ。

我が名はNinja

米国でのいたずらの話。

レストランなどで入れなくて順番待ちになると、予約の名前を聞かれるのは日本もアメリカも同じ。もちろんスタバとかでも名前を聞かれたりするよね。だが日本人の名前は彼らには馴染みがなく、こっちが正確に伝えたとしてもだいたい変な風に変換されている。そんなわけで米国だけで通用するニックネームを決めている人も居るようだが。

そこで同行したライター仲間のzさんが編み出したのが、名前を聞かれたら「Ninja。」と答える技。一言言えば大抵はスペルまでちゃんと合っている。ただ反応は様々で、無言でNinjaと書き込む人も居れば、「Ni、Ninja?」と焦って聞き返す人もいるという。

日本には忍者という性の人がいるという間違った常識が蔓延したら、具体的にはzさんのせいです。

4月の景気は?

CESで渡米している間に、4月に行なわれるNABのメディアレジストレーションが開始されていた。ややこしくなるので後回しにしていたのだが、今日登録を行なった。

さて、飛行機とホテルの手配だが、今回のCESを見ていると、早めに手配して良いかどうか悩むところである。というのも、ホテルは相当に空きが出た模様で、ギリギリになると一泊100ドルを切る高級ホテルも出る始末だ。

飛行機のほうはツアーチケットなら今でも結構安いが、大抵ユナイテッドなのが悩みどころ。米国の景気の悪さもさることながら、世界的に景気が低迷すればNABに出かける人も少なくなるので、他でも安いチケットも出そうだ。

ただ性格として、割と準備万端じゃないと落ち着かないところがあるので、やっぱり多少高くても先に手配しておくべきか。うーん、もう少し考えさせて。

MIAU的08年の総括

我々MIAUが発足したのは、07年10月のことである。なんとまだ1年とちょっとした経っていないにもかかわらず、やることなすこと常に賛否両論、話題を提供し続けてきたという点では、希有な存在となったように思う。とにかく今年は、「インターネット」を巡って様々な思惑が錯綜し、それに翻弄されてきた1年だった。今回は08年にMIAUが取り組んで来た事例をピックアップして、今後の展望を考えてみたい。

昨年1月に行なったのが、「ダビング10について考える」シンポジウムである。ダビング10は今年の7月にスタートしたが、そのルールに落ち着いた経緯、そして運用が開始されたらどういうことが起きるのか、といった点を総括した。さらにパネルディスカッションではB-CAS運用の問題点を指摘、のちに熱く語られることになる廃止論の火蓋を切った。

B-CASに関しては、現在も総務省の「デジタル・コンテンツの流通の促進等に関する検討委員会」で検討が続いている。昨年12月には技術検討ワーキンググループ(WG)から、B-CASカードの見直し案4案が報告されたが、これを受けてネット世論は「B-CASはまだやるつもりなのか」といった風潮になっているようだ。

しかしこれは9月の審議会で、技術と契約の観点から考えられ得る具体的な対応をあげるべし、ということのアンサーで、B-CAS廃止論が後退しているわけではないように思う。残念ながら我々はこの審議会に直接タッチすることはできないが、主婦連の河村氏をバックアップしながら、廃止論を進めていきたいと考えている。

4月にはいわゆる「青少年ネット規制法案」に対して反対の共同声明を発表し、5月にシンポジウムを開催した。当時入手した法案では、通信事業者やPCメーカー、個人に大きな責任を持たせており、 ネットにおける表現の自由を破壊しかねない内容であったことから、新聞・テレビなど大手メディアまでもが反対の立場を取った。残念ながら6月に法案は成立してしまったが、その多くは努力義務に落とすことができた。

そして9月には、我々がオリジナルで作成したインターネットリテラシー読本、「“ネット”と上手く付き合うために」を公開した。これは青少年ネット規制法案に反対する課程で生まれてきた、「規制よりも先に教育があるべき」という理念を我々自身で具現化するものである。まだ全体構想からすれば2割程度しかできていないが、その後11月には総務省の「インターネット上の違法・有害情報への対応に関する検討会」の下位WGで、活動経緯や調査・研究成果を発表する機会を得るなど、大きな意味があった。

この読本に関しては、今後も引き続きセクション3、4と制作を予定している。またこれをベースにテスト授業などを行なうことで、多くのノウハウと、学校の現実を学ぶことができた。さらにリテラシー教育に力を入れているネット企業との協業も、今後は検討していく計画がある。双方のリソースが足りない部分を補完しながら、よりよいネットのために貢献できればと思っている。

民間の取り組みということでは今年4月から、インターネット利用環境整備のための民間団体、「安心ネットづくり」促進協議会が活動を開始する。我々MIAUもこの協議会に参加し、活動していくことになる予定だ。

ネットがどうなればいいか、というのは、いろいろな思惑が錯綜するところだ。我々の考えは、8月に行なった「Google ストリートビュー"問題"を考える」シンポジウムでメンバーの八田真行が発言しているように、インターネットでは様々なトライアルが許されるべき場所だと思っている。誤解されては困るのだが、それは無法であるべきということを求めているわけではない。

我々の行動原理は、非常に単純だ。それは米100ドル札の図柄にもなっている、ベンジャミン・フランクリンの言葉に集約されている。

「ほんの少しの安心と引き換えにいちばん大切な自由を手放す人は、自由も安全も享受する資格がない。」

小銭一掃

以前栗原さんに教えて貰った効率的な小銭の消化方法(http://blogs.itmedia.co.jp/kurikiyo/2008/12/post-520b.html)をサンフランシスコ空港の免税店で実行してみたところ、あっさりOK。というか先方も手慣れたもので、コインだけで4ドルもあったのだが、カードとの合わせ技でゴディバのチョコレートに化けた。

この技は海外取材が多い同行のライター陣も知らなかったので、にわかに流行するかもしれない。

というわけで出張のお土産だが、日本では売ってないLogicoolのdiNovo Keyboard Mac Editionをあちこちで探したのだが、どうもまだ売ってないっぽい。ちなみに発売済みのはずのdiNovo Edge Mac Editionも見あたらず。15年ぶりぐらいにMacユーザーの悲哀を感じた。

イヤホンは2つ、あとは円高に便乗して11nのルータなどを購入。CES会場で死ぬほどいっぱい見たVivitarのカメラは、Fly's、Circuit city、Best Buy、Walmartを回るも、どこにも売ってない。ああいうのどこで売ってんのかなぁ。Kodakとかのあのクラスのは売ってるんだけど。

今回お土産は、お目当てのものは何一つ見つからず、余計なものばかり買った気がする。家族用のはいいのがあったんだけどね。

また4月にNABで渡米するので、そのときまたがんばろう。

最初の就職は失敗するもの

以前もこんな話をどこかで書いたような気がするが、まあいいや。毎年この時期には、ネット上で就職の話題が多い。すでにある程度は景気が後退しているのだが、今後はテレビ業界が大氷河期に突入することはほぼ確定なので、ますます厳しくなることだろう。

僕が就職なるものをしたのは、1984年。かれこれ25年も前だから、今の人にはあまり参考にはならないだろう。だが、昔はこんな感じだったというのを知るのも、話としてはおもしろいかもしれない。

大学生は3年生の夏あたりから就職活動をするのが今の相場だというが、25年前はまだそんな早い段階での就職活動というのはなかったように思う。だいたい4年生の夏ぐらいからみんな始めたのではなかったか。まあそのあたりは、よく知らない。

というのも僕は2年制の技術系専門学校卒なので、事情がだいぶ違う。専門学校というのは、普通は就職率が高い。というのも、今でいうブラック企業が大量に即戦力&使い捨て要員として採用していたからである。最初から有名どころに就職できるのは、優秀というよりも運がいいという部分が大きかった。

当時のことを調べてみると、ナウシカの公開、ドラゴンボール連載開始など、現代に開花する種が蒔かれた時代だったといえるかもしれない。数年後に迎えるバブル景気に向けて、経済は上り調子だった。従って、「兵隊」の大量雇用が必要な時代だったのである。

しかしそんな中でも、つまらぬところへの就職を嫌って、バイトで暮らすという者も現われたのが、この頃の特徴だった。僕はなにぶん仕送りに頼る身で、その年に父親が定年退職したこともあり、就職浪人するという発想は全然なかった。また、バイトで暮らすということも、自分には考えられない選択肢だった。

思えば、就職よりもバイトを選んだ級友らは、東京・大阪などの大都市出身者が多かったように思う。都会暮らしのコツというものが、自然に身についていたのだろう。その点で僕は、田舎者が一人で暮らすということに対して、自信が持てなかった。

当時はまだ、終身雇用は伝説ではなかった。しかし運良くか運悪くかわからないが、テレビ業界というのは転職に転職を重ねて、スキルアップしていく業界であるらしいことがしばらくしてわかることになる。同期入社した11人は、僕が辞める4年目には半分以下になっていた。

最初の会社での処遇は、認めてくれる人も幾人かはいたが、全体的にはまったく恵まれなかった。自分の能力を使いどころが、よくわからなかった。F1レーサーを目指したのに、実際の仕事はタクシー運転手、ぐらいのズレがあった。最後には本部から離れた小さな編集室に出向のようなことになり、楽ではあるが、つまらない仕事をあてがわれた。

最初の会社を辞めるとき、社長、専務とは喧嘩のようなことになってしまったが、直属の課長はよく理解してくれた。課長はまっすぃーんのように正確な編集をする人で、当時の僕はよそのことはあまり知らなかったが、おそらく日本でも3本の指に入るぐらいの技術の持ち主だと思っていた。

課長は常に孤高の存在で、あまり人と打ち解けて話などしないタイプの人だったが、自身もよその会社から移って来て、自分よりも年上のチーフ連の上に立っている人間だったからだろう。最後に挨拶したときも、辞めることに関しては、僕をうまく使えなかったことを詫びつつも、よそに行ってやり直すべきだと言ってくれた。

次の勤め先は、決めていなかった。とにかく疲れたので、しばらく実家に戻って療養することにしたのだが、帰って2週間ほどで、父親が脳梗塞で倒れることになる。

今にして思えば、よくそのタイミングで会社を辞めて帰っていたものだ。父親が入院している間、家業である酒とたばこの納税の仕方が誰もわからなかったので、僕が近所の酒屋さんに習いに行ったりした。今でも酒瓶の種類と銘柄で容量とアルコール度数がそらで言えるのは、このときの経験である。

そのとき僕は、24歳になっていた。

米国取材の心得

明日からCESの取材で1週間ほど渡米する。以前旅慣れないころはずいぶん大荷物だったのだが、だんだん持ち物がこなれてきて、最近はトランクがガラガラで困っている。

一つの要因は、持って行く衣類が減ったことである。以前はシャツなどをたくさん持って行ったものだが、最近はシワにならないスウェット地やフリース地の上物を2~3着持って行くだけにした。機材面でも大幅な減量をした。最近は展示会などでも、大きなカメラを持って行くのはやめて、コンパクトデジカメかビデオカメラで写真を撮っている。

それでも以前失敗したことがある。風邪薬などの薬品はもちろん持って行っているのだが、預け荷物の中に入れてしまっていた。ところが風邪というのは現地でひくのではなく、移動中にひくものなのだ。昨年のNABの時は成田に向かうNEXの中で貰ったらしく、なんかのどがおかしいと気がついたのはすでに荷物を預けた後だった。

空港の中の薬局はとても小さく、なんだか富山の置き薬みたいな「あー昔あったよねこれー」的な薬しかなくて、とても困った。薬類は手荷物に携帯しておいた方がいい。

あとはまあアメリカなんで、パスポートとクレジットカードがあればなんとかなるだろう。

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