コデラノブログ 3

結局社会は「イヤなことを言わないヤツ」で回るのではないかという仮説

インターネットが広く一般に普及して以来、イヤなことを言われたとか、いやだってホントのことだろとか、人と人との諍いやトラブルが表面化するようになった。というのも当たり前で、誰にでも公開の場で諍いをやるわけだから、それは人の目に付いて当然である。

基本的に人間というのは、自分に関わり合いのないもめ事を他人事のように眺めるのは大好きなので、それらの喧噪はリンク数の増加、サーチエンジンの検索順位上昇、ブックマーク数といった要素を媒介に、加速度的に人を集めてゆく。

しかしよくよく考えてみれば、インターネットがなかった時代にイヤなことを言うやつが居なかったかというと、決してそんなことはなかった。実社会では上司や同僚に、必ず言わなくてもいいことを言う人間が居るものだ。そしてそれらは、面と向かって言われるというのが普通であったわけだ。

だがこれらは、普通1対1で言われるので、おおごとになることがなかった。そっと自分の心の内に秘めて、酒の席などで気の置けない仲間に愚痴るぐらいのことで済んでいたわけである。

しかしインターネットが社会インフラとなり、SOHOや在宅勤務も特殊なことではなくなった現在、実社会で人に合わなくても、そこそこ仕事ができるようになった。現実社会でイヤなことを言う人に会わなくても、済むようになったということである。

一方インターネットのパワーというのは、実際に会うことが難しい、とても優秀な人と関わりが持てるということである。そういう優秀な人は、いちいちイヤなことを言ってこない。だから人が集まってくるし、結果としてその人は加速度的にすごいことをやってのけられる。

その反対にインターネットは、こちらから呼んでもいない相手が勝手に関わってくるということが避けられない。リアルでようやく避けられた「イヤな一言」が、今度はネット通じて勝手に向こうからやってくる時代になったのだ。

それらのイヤなことは、「相手にしない」ということで解決できる。だが言われっぱなしなのが気に入らないということで直接やり合うと、冒頭のような結果になるわけである。

さて、物事を成し遂げる効率ということを考えていくと、誰ともわからぬ相手にけんかを売る時間というのは、なんの生産性もないので無駄である。つまり、イヤなことはスルーするほうが効率的であると、優秀な人なら判断するだろうし、企業のような営利を追求する法人ともなれば、なおさらである。

ということは、この「イヤな一言」は、社会に対して何の効力も改善ももたらさないということになる。仮にその中に金言や教訓が含まれていたとしても、「言い方が悪い」というだけでスルーされる世の中になった、ということである。

イヤなことを言う側は、そもそも自分の意見を聞けというわけでもないのだろうし、一種の憂さ晴らしに過ぎないのだろう。だが、本当に自分の意見を誰かに実現して欲しいという段になって、嫌味でしかそれが伝えられなくなったら、たぶん一生その人の意見は顧みられることはない。

ものには言い方ってもんがある、というのは、今更ながらみんながもう一度意識しなければならないことであろう。イヤなことは全スルーがデフォ。

そして物言いがいい感じの人のところに有益な情報や人が集まり、ポジティブな空気の中で世の中をうごかしていくというのが、スマートな社会なんじゃないかな。

で、そこに参加できるかできないかは、その人の心がけ次第ということになるわけである。

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