コデラノブログ 3

いわゆるストビュー問題について

ここ数日、Googleが日本でサービスインしたストリートビューの是非について、ネットで様々な意見が出ている。面白い、将来性を感じるという人の意見も理解できるし、気持ち悪い、プライバシーの侵害だとする意見もまた理解できる。正直言って、態度を決めかねているというのが現在の状況だ。

これを映像の作り手という立場からみると、「気持ち悪い」という感覚はよくわかる気がする。おそらくストリートビューの映像は、「剥き出し」すぎるのだ。

例えば人が写真を撮るとき、多くの人は上下左右360度全景の中から、何をメインに撮るか、構図をどうするかといった条件で、選択を行なう。その選択基準がうまく見ている人に伝わるからこそ、意味のある写真になるし、芸術にもなる。

しかしストリートビューの映像は、無作為でありすぎるが故に、人の意志がない。そして被写体があまりにも身近でありすぎて、普通はこんなところ好きこのんで撮らないようなものであるから、どうにもならない居心地の悪さを感じるのではないか。

僕は趣味でも写真を撮るが、例えば街の雑感を撮るなら、自分の家の回りではなく、知らないところを撮った方が楽しい。同じ路地でも、知らなければ知らないほど、そこを撮ることに意味を感じる。

もっと離れて、取材でたまに渡米するが、異国の街ならばどこを見ても被写体になるような気がする。初めて見るものを記憶に残したいというのは人間の基本的な衝動であり、その補助となるのが写真である。それが現地の人にはどんなにありふれたつまらないものでも、本人には意味があることなのである。

ストリートビューのサービスは米国でスタートしたが、そのとき日本でプライバシーの問題があると指摘した人は、今よりうんと少なかった。多くの人には、それよりも見たことのない風景に出会える興奮や、過去言ったことがある場所の記憶とその映像が一致する楽しさの方が、勝っていたのだろう。

ストリートビューを気持ち悪いという人は、ちょうどそれの逆ベクトルの感覚に圧倒されているのだろうと思う。それは単に見る側から見られる側への転換という側面だけではなく、強い好奇心が反転した保身の感情でもあると考えられないだろうか。

日本人は元々、大人になっても子供のような好奇心が持続するタイプの民族である。だからこそ、その反動も大きいという事かもしれない。個人的には、その心の動きのほうに興味がある。

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