2008年08月 の記事
2008年08月29日 23時07分 [ Blogmag ] [ サービス ]
キミのブクマは僕のもの?
はてなが、ブックマークされたコメント一覧を表示されないような機能を実装した。という理解でいいんだよね? これ。
はてなブックマークは、ソーシャルブックマークの先駆け的な存在ではあったが、記事のスクラップを助けるという目的のタグやコメントがだんだん別の意味を持ち始め、もはや一種の掲示板化してしまった。いやソーシャルというからにはなんらかのコミュニケーションが成立してもいいのだろうが、そこからちゃんとしたコミュニケーションに発展するような機能があるわけでもなく、「切り捨て御免」的な立ち位置となっていったように思う。
以前から自分の書いた記事に対するコメントは参考のために見ていたのだが、ここ1〜2ヶ月ぐらい、なんだか急速に殺伐とした雰囲気になってきたように感じる。以前から見ていらっしゃる方はお気づきの方もあるかと思うが、このブログも、一部のコメントが発する「呪詛」のようなネガティブなオーラに心が耐えきれなくなり、「○○users」という表示は出ないようにして貰った。自分でわざわざ見に行って傷ついて返ってくるというサイクルが重なり、いらいらして子供を必要以上に叱ったり、妻に辛く当たる自分自身の度量の狭さに耐えられなくなってしまったのである。
しばらくブクマコメントから遠ざかって、ようやく心に余裕ができた。最近はプロのモノカキとしては、どのような酷評であろうとも目を通す責任があるのではないかと思い、またチェックするようになった。
今回の機能は、ここが商業誌ブログであることから考えると、使うのは憚られる。しかし被ブクマされる書き手側に表示権があるというのは、個人の方にとっては妥当なところなのではないかと思う。というより、現状他に手段がないだろう。
ただ「○○users」の表示まで元に戻せというのは、正直僕にはキツい。あと、過去僕のココロをボッキリ折ったIDの方には、大変申し訳ないのだが非表示タグを使わせていただいている。このあたりが心の平穏を保つギリギリのバランスということで、ご理解いただければ幸いである。
2008年08月28日 12時21分 [ Blogmag ] [ ネット ]
GSVシンポジウム報告
昨日、MIAU主催のシンポジウムは「Googleストリートビュー"問題"を考える」は、いつものことながら若干時間を超過しつつも無事終了した。
Utreamのライブ中継はなしにして、その代わりパネリストにはオフレコ話も存分にやってもらったことで、かなり突っ込んだディスカッションが行なわれた。
中継こそなかったが、Twitterなどで質問を受け付けたところ、会場に来ている人からリアルタイムで質問が入った。本来は会場に来られない人からの質問を受け付けるための仕掛けだったのだが、それを取り上げながらディスカッションを進行、会場から誰も手を挙げて発言しないのだけどもなぜかタイムリーな質疑応答が進行するという、事情を知らない人にはかなり謎なやりとりだったのではないかと思われる。
ただこの方法ならば、会場で手を挙げて質問をいただくよりも、こちら側も質問が整理できるし、出席者も質疑応答の時間まで待たなくても質問が投げられる。ある意味効率的なのではないか、質疑応答2.0(笑)なのではないか、と思った。
これはなんらかの形でシステムにしたらいいんじゃないかな。
2008年08月26日 10時34分 [ Blogmag ] [ ネット ]
Googleストリートビュー"問題"を考えるシンポ
いかんいかん、うっかりしてたらもう明日の話になってしまったが、今ネット上で議論が続いているGoogleストリートビューに関するシンポジウムを開催する。
日時:2008年08月27日(水)午後6時30分〜8時30分(午後6時10分開場)
場所:杉並区 産業商工会館(杉並区阿佐谷南3-2-19)
※JR中央本線 阿佐ヶ谷駅より徒歩5分
東京メトロ丸ノ内線 南阿佐ヶ谷駅より徒歩3分
個人的にはタイトルを「ストビューでうだうだ言ってるやつぁみんな来い! 特にアメーバニュースのヤツふざけんなよ by 津田大介」にすれば大盛況だと提案したのだが、本人から大却下された。
いつもMIAUのシンポジウムはかなりキツキツなのだが、今回はちょっと大きな会場なので、多少余裕があると思う。また今回は参加費1000円をいただいている。申し訳ないが、MIAUもボランティアベースを越えた活動をするためには資金が必要なので、ご協力願えればと思っている。
さて、タイトルにわざわざ"問題"と囲ったのは、すでに多くの問題点が指摘され、それに対する反論も多く出て、それらを俯瞰するという意味合いが含まれている。これまでのシンポジウムは、基本的にMIAUの主張をなぞるものだったが、今回のこの問題は、MIAUの中でも賛否が割れているというのが特徴かもしれない。
一般消費者の立場、情報社会学的見地といったポジションで、このサービスをどう捉えるのか。面白いシンポになりそうだ。
なお今回は、Ustreamによるライブ中継は行わない予定になっている。また後日YouTubeやニコ動での配信も、今のところ考えていない。というのも緊急にやることが決まったので、まだ登壇者の皆様の同意が確認できていないんである。
そんなわけなので、明日の「Googleストリートビュー"問題"を考える」シンポジウム、ご近所お誘い合わせの上、お越しください。
2008年08月22日 12時41分 [ Audio ] [ Blogmag ]
夏の終わりに「My Music Style」
この夏はなんだか突然の雷雨が定番になってしまって、あまり夏らしい日がないように思う。そんな8月も、もう来週で終わりだ。この夏、イベントなど楽しいところになんにも行ってないという人は、8月最後の土日に開催される「My Musc Style」に出かけてみるというのはどうだろう。
オーディオメーカー各社が出展するイベントだが、「マニアお断わり」を前面に出しているというのは珍しい。クラシックやジャズを難しい顔して聴き、「細やかな粒立ちからシャープに立ち上がり、まったりとしながらもしつこくない」などラーメン評とどう違うのかよくわからないことをつぶやくオジサンは秋葉原方面に退場していただいて、CDやiPodを持ち込んで自由に視聴できるというわけである。
今回はドリンクもサービスしてくれるらしい。場所が恵比寿なので、帰りに焼き肉とビール、というコースが正しいかもしれない。
2008年08月21日 16時45分 [ Blogmag ] [ 放送 ]
技術は技術によって破られる
昨晩あたりからネットで騒ぎになっているが、あのフリーオがB-CASカードなしでもデジタル放送の視聴が可能になるファームウェアアップデートを行なった。僕はフリーオを購入していないので確かめようがないが、ネット上のニュースによれば、制御方式を「ネットワーク」に変えるだけで、デコードされるようである。
B-CASによるスクランブルの解除は、三重構造になっている。放送波の中には、番組自体の中身であるMPEG-2 TSのほかに、番組の情報(メタデータ)と視聴可否に関する情報(有料コンテンツだからダメとか)といったECM(Entitlement Control Message)情報が含まれる。ECMの中には、本編のスクランブル解除キーとなるスクランブルキー(Ks)が含まれる。これらはすべて暗号化されている。
またB-CASカード内には、加入者ごとに固有のIDと、個人契約情報(有料放送のどれを契約しているかなど)が記録されている。これをEMM(Entitlement Management Message)といい、この中にはECMの暗号化を解くためのワークキー(Kw)が仕込まれている。EMM自身もまた、暗号化されている。
まず暗号化解除は、
ステップ1:B-CASカードが持っている固有のマスターキー(Km)を使って、EMMの暗号化を解く。そしてEMMの中にあったワークキー(Kw)を取り出す。
ステップ2:このワークキー(Kw)を使って、ECMの暗号化を解く。そしてこの中にあったスクランブルキー(Ks)を取り出す。
ステップ3:このスクランブルキー(Ks)を使って、映像本編の暗号化を解く。
こうして初めて映像信号がテレビに映るというわけだ。
今回の技術は、ユーザーが受信した放送のECMをフリーオのサーバに送信、サーバ側でステップ2までを行ない、スクランブルキー(Ks)をユーザーに返してやる、という仕組みのようだ。
しかし、1枚のB-CASカードから、サーバとして耐えうる数の暗号化解除キーが取り出せるとは思えない。ECMをどれぐらいの間隔でチェックさせるか、その時間によると思うが、せいぜい2ストリーム分ぐらいではないか。
サーバ側でいったい何枚のB-CASカードが動いているのかわからないが、それほど膨大な数のカードが入手できるとも思えない。実際にはカードの動作が、ユニークIDを偽装する形でエミュレーションされているのではないかという気がする。
これがどのような法律に抵触するのかは、事態が正確に把握できないこともあってわからない。が、技術が技術によって破られるのは、必然の成り行きである。研究レベルではもっと早く破られていたのかもしれないが、それがサービスという形になったのは初めての事例だろう。
事の是非は置いておくとして、このようなリモート鍵によってスクランブルを解除する技術は、これからのネット映像ビジネスには欠かせないものになるだろう。たとえば家庭内にあるPCで購入したコンテンツをコピーして、外出先の別のデバイスから見たとしても、ケータイ程度のスピードであってもネットに常時接続されていれば認証を得られる仕組みとして、有望と考えられる。
技術に善悪はない。それがどう使われるかという利用方法と利用者の意志に、善悪があるだけである。この技術を単純に悪と決めつけるようなことがあれば、それはP2Pと同じ暗い道をたどるだけだろう。
2008年08月20日 16時38分
本物らしく見せる技術
3DCGで作ったEmilyが、やけに本物っぽく見える。この映像は、多くの示唆に富んでいる。
これが本物らしく見えるのは、肌や上野質感ではなく、目の動きに注力したからだという。実際に人間の目というのは、本人自身が意識せずとも、絶えず動き続けている。まっすぐ一点を見つめるのは、異常事態のときだ。そうしていると大抵人は「どうした」とか「大丈夫か」とか聞いてくる。
まばたきという動きという人間の自律神経による動き、この回数やタイミングを本物らしくできるかで、印象はかなり変わるはずだ。
また目の回りにも注目したい。考えているときにちょっと目を細めたり、眉を上げたりといった動作と会話のタイミングなども、かなり研究している。
これらの動きが、人のセンスによるモーション付けではなく、アルあゴリズムで自動化が可能になれば、バーチャルリアリティの世界も飛躍的に進歩するだろう。
もう一つのリアリティを感じさせる点は、「汚れ」である。つまり、完全ではない部分を、どこにどれぐらい加えるかで、リアリティが違ってくるのは、模型などの世界ではよく知られたテクニックだ。
それを映像の中に加えるのではなく、外に加えるというのも、表現としてはおもしろいだろう。たとえばその映像が遠くから送られてきたような演出として、わざとコマが飛んだり、返事が0.5秒遅れたりといった細工もまた、リアリティを増す要因として捕らえられるのではないだろうか。
もしこのようなグラフィックスがアバターとして使えるのであれば、日本でもビデオチャットが盛んになるかもしれない。その代わり婚姻率は下がるかもしれないが。
2008年08月18日 22時09分 [ Blogmag ] [ 映像 ]
SD時代への決別
映像作家時代に、素材として撮影した雲の映像が結構ある。夕焼けや雨雲などを、約3年間に渉ってとり続けたものだ。しかし残念ながらそれらはすべてSDで撮影してあるため、おそらく今後はプロの仕事としては使い道がないだろうと思う。もっとも、また映像の仕事をするかどうかも怪しいのだが。
そこでそれらの素材をニコニコモンズに提供しようと思って、整理しているところだ。近いうちにアップロードできると思う。高速度撮影してあるので、単に見てるだけでも結構面白いのではないかと思う。
その雲を撮影したSONY DSR-PD150も、今日友人宅へ引き取られていった。自分の中では、これでSD時代に一区切り付けることができた形だ。
2008年08月14日 22時14分 [ Blogmag ] [ サービス ]
いわゆるストビュー問題について
ここ数日、Googleが日本でサービスインしたストリートビューの是非について、ネットで様々な意見が出ている。面白い、将来性を感じるという人の意見も理解できるし、気持ち悪い、プライバシーの侵害だとする意見もまた理解できる。正直言って、態度を決めかねているというのが現在の状況だ。
これを映像の作り手という立場からみると、「気持ち悪い」という感覚はよくわかる気がする。おそらくストリートビューの映像は、「剥き出し」すぎるのだ。
例えば人が写真を撮るとき、多くの人は上下左右360度全景の中から、何をメインに撮るか、構図をどうするかといった条件で、選択を行なう。その選択基準がうまく見ている人に伝わるからこそ、意味のある写真になるし、芸術にもなる。
しかしストリートビューの映像は、無作為でありすぎるが故に、人の意志がない。そして被写体があまりにも身近でありすぎて、普通はこんなところ好きこのんで撮らないようなものであるから、どうにもならない居心地の悪さを感じるのではないか。
僕は趣味でも写真を撮るが、例えば街の雑感を撮るなら、自分の家の回りではなく、知らないところを撮った方が楽しい。同じ路地でも、知らなければ知らないほど、そこを撮ることに意味を感じる。
もっと離れて、取材でたまに渡米するが、異国の街ならばどこを見ても被写体になるような気がする。初めて見るものを記憶に残したいというのは人間の基本的な衝動であり、その補助となるのが写真である。それが現地の人にはどんなにありふれたつまらないものでも、本人には意味があることなのである。
ストリートビューのサービスは米国でスタートしたが、そのとき日本でプライバシーの問題があると指摘した人は、今よりうんと少なかった。多くの人には、それよりも見たことのない風景に出会える興奮や、過去言ったことがある場所の記憶とその映像が一致する楽しさの方が、勝っていたのだろう。
ストリートビューを気持ち悪いという人は、ちょうどそれの逆ベクトルの感覚に圧倒されているのだろうと思う。それは単に見る側から見られる側への転換という側面だけではなく、強い好奇心が反転した保身の感情でもあると考えられないだろうか。
日本人は元々、大人になっても子供のような好奇心が持続するタイプの民族である。だからこそ、その反動も大きいという事かもしれない。個人的には、その心の動きのほうに興味がある。
2008年08月13日 09時19分 [ Blogmag ] [ 放送 ]
日本映像ソフト協会が香ばしすぎる
社団法人日本映像ソフト協会(JVA)が、デジコン委員会に意見書を提出デジコン委員会に意見書を提出したそうである。で、このニュースリリースに記されている意見書のリンクがものの見事にリンク切れになっていて、そのあたりがいかにもJVAらしい香ばしさを醸し出している。
ご記憶かもしれないが、過去JVAは、たとえタイムシフトだろうが、放送からの私的録画によって直接的な売り上げ減の有無にかかわらず、補償金が必要というリリースを出して、世の中を(゚Д゚)ハァ? のどん底にたたき込んだ。
で、テレビを録画しても直接的な売り上げ減がないという事実は、自分とこの調査で出ている。「DVDユーザー調査 2007」のP.6には、新品DVDソフト購入数減少理由というグラフがあるが、ポイントが2カ所ある。1つ目は 「TVでの放映やそれを一時的に録画して見る機会が増えた」の部分、2つめは「TVでの放映を保存用に録画することが増えた」の部分である。この2つを合わせても、トップの理由である「自分の欲しいものがない」には届かない。
日本映像ソフト協会というのは、基本的にDVD発売元が集まったところである。つまり自分たちの努力が足りないからDVDが売れないという結果が出ているわけだが、そこはスルーしてお金くれるんならちょうだい、というのは、いくらなんでもムシが良すぎる話ではないだろうか。
さて話を戻して、今回の意見書である。元ソースが見られないわけだが、AV Watchに概要が出ている。元ソースが公開されればまたそれを元にして書き直すことにして、記事によれば、「コピーワンス緩和がダビング10としてすでに実現されながら、2008年の第5次答申においても、対価の還元の具体案が示されていないことを不服」とある。
しかしこれは時系列で考えればもうむちゃくちゃな話で、ダビング10は本来6月2日に始まるはずだったが、補償の問題が決着せず延期されていた。開始の芽が見えてきたのは、ブルーレイを補償金の対象にすることで文科省と経産省が合意した6月17日である。
こうしてダビング10がようやくスタートしたのが7月4日。第5次中間答申が出されたのは、6月27日である。ブルーレイの合意から答申発表まで10日しかない。まだ始まっていない、いつやるかも怪しいものに対する補償が、答申に入っていないのはおかしいというのは、もうこっちが日本語として何を書いているのかわからなくなるほどおかしな話である。
さらに記事によれば、「具体策の検討にあたり、HDDの大容量化やホームサーバー化、アナログ出力からの複製に関する著作権保護技術」にも触れられている。これは大変なことで、HDDに補償金は当たり前、そうなれば「NASに映像を入れてるよね、はい補償金」の世界が実現する。つまり録画機能を備えている、いないに関わらず、HDD製品に課金するという話で、これは05年頃に起こった「iPodからも金を取れ」時代までもう一回議論を戻せ、と言っていることになる。
またアナログ出力の制限にも触れている。これは、現在のダビング10ルールでは、アナログ出力にはコピー制御しなくてもいい、というルールに反対するものだろう。現状ハイビジョン解像度のアナログ出力をキャプチャできるボードや製品はそれほど多くない。いくらコピーフリーになるからといっても、アナログで録るというのは時代に合わないことは、誰でもわかっていることだ。
しかも、そうまでしてアナログ経由でBlu-rayなどを焼いても、レコーダ自身はネバーコピーフラグで録るはずである。すまん、それはやったことないので当時の資料をひっくり返して読んだだけだが、たぶんそうなるはずだ。そうまでして執拗に制限をかけたって、技術的コストがかさむだけで、全然複製の制御にはならない。
最後に、「バグを放置した機器の販売を禁止するなど、著作権保護技術の実効性を確保する制度的エンフォースメントを強く要望する」としているが、これはエスケイネットの「MonsterTV HDUS」を指すものだろう。
MonsterTV HDUSはすでに自主的に出荷停止としているが、流通在庫が大量にあったため、解除テク発覚後1週間ぐらいは販売が続けられた。制度的エンフォースメントの意味するところは、これを法規制で流通も止められるようにしろ、ということである。CATVの違法受信チューナーみたいな取り締まりができるようにする、と言えばわかりやすいかもしれない。
しかしデジコン委員会の議論では、制度的エンフォースメントへの移行は、技術的エンフォースメント、つまりB-CASと引き替えということで進んでいる。
B-CASの幕引きとして、制度的エンフォースメントにあとを譲るという形で自主的に退場するか、それともMonsterTV HDUSを市場から排除した実行力があったとして独禁法で違法とされるかは、大きな違いだ。
日本映像ソフト協会のこの意見書は、制度的エンフォースメントの必然性をMonsterTV HDUSに関係があると臭わせたことで、B-CASの独禁法違反議論をデジコン委員会にまで持ち込むことになる。本人たちが予想しなかったレベルで実はもんのすごい爆弾を投げたに等しいと思う。これはやっちまっただろう、どう考えても。
2008年08月11日 23時41分 [ Blogmag ] [ ネット ]
Anonymousの善意の限界
MIAUの教科書プロジェクトは、若干遅れながらも一応予定通り進行している。たぶんこのまま行けば、最初の2セクションぶんは9月に正式リリースできそうだ。
当初の予定では、7月中にベータ版を一般公開することになっていた。すでにテキストベースでのDTP作業はラフが出来上がっているが、正式リリース前にベータ版を公開すべきかどうか、迷っている。
最初はなるべくネット上の多くの意見を取り入れて制作、進行すべきと考えていた。だが最近はどうも、ネットの善意というものを不特定多数の人に求めるのは無理、というか無謀なのではないかと感じている。やはり人はAnonymousになると、斜に構えたり、ネガティブな意見をぶつけてみたくなる衝動を押さえられないのだろう。そしてそのテーマは、ネットの教科書の内容そのものでもある。
僕はプロジェクトリーダーとして、教科書の制作に関わってきた沢山の協力者のモチベーションを守る責任がある。つまり「ネットでクリエイターの心が折れる問題」に直面することになったわけである。
そう考えていくと、やはり完成前のものを公開してよりよいものにするという回転を産むためには、例えばソフトウェアにおけるSourceForgeのような枠組みがあって、そこでなんらかのコントロールを加えなければ難しいだろう。
おそらくタネができれば、自然発生的にそれらができてくるのかもしれない。だが今は、そのタネが嵐に飛ばされないよう守るべきなのか、という岐路に立たされているというわけだ。
2008年08月06日 16時23分 [ Blogmag ] [ ネット ]
「日本インターネット報道協会」について再考
先日「日本インターネット報道協会」についてのエントリーを書いたあと、ニュースの出所を注意して見るようになった。
そんな中、昨年の記事だが、こういうものがあった。
『あるある』渦中フジ社長、記者クラブ員と豪華宴会
記事は上中下の3部作であるが、昨年のCXの「あるある問題」に対して、記者クラブがらみで取材できなかったという経緯があったようだ。これに奮起して、ネットニュース各社でも記者クラブを、という気持ちは、個人的にはわからなくもない。
ただそれが本当に必要かという点は、難しいところだ。例えば仮にこの懇談会に入れたとしよう。そして一般の記者と同じような饗応を受けたならば、彼らは記者クラブの連中と違った記事が書けただろうか。むしろネットニュース社の意義とはこの記事のように、旧態然とした癒着の構造の外側で、粘って粘って張り込みをして情報を取るほうに、価値があるのではないか。
ネットニュースが独自に記者クラブのようなものを作れば、それは現状の記者クラブのような、別の排他的な組織を形成するだけではないのか。例えば彼らが開いた記者会見に、筆者は入れるのだろうか。
今多くのニュースは、紙媒体の新聞社からの配信が主流であり、ネットニュース各社は新聞社というよりも、どちらかとえば「通信社」の位置づけに近い。ネット上のニュースは、「選ぶもの」であり、「見比べるもの」であるのだ。
情報の価値という意味では、大新聞と同じ立場で記事を書くことが、重要であるとは思われない。それらはすでにあるものだからだ。
オリジナルの立場で、大手と差別化された記事を書くということに、ネット発のニュースとしてのアイデンティティがあるという考え方では、経営が難しいのだろうか。
2008年08月05日 13時50分 [ Blogmag ] [ 放送 ]
5000円チューナーについて補足
昨日のITmediaのコラムで5000円チューナーのキットのアイデアを披露したのだけど、ごく一部の人には意義がわからなかったようので補足したい。
キット化すればアセンブルするコストが不要になるので、低価格化には貢献できるだろうということが一つ。そしてもう一つ重要なのは、ボランタリーな活動の場が広がるだろうということである。
キットの実費は使用者に負担して貰うとしても、組み立ては腕に自信のある人が集まって、地域貢献ができるというのは、良いことだろう。また中学、高校の技術の時間などに実習として組み立てて貰い、それを施設に寄付するなどの動きもできる。弱者のために社会が貢献できる余地を与えるエンジンとして、キットが使えないかというアイデアだ。
はてなブックマークに「老人や障害者にキットを組み立てさせるのか」という意見があって、衝撃を受けた。そんなことを考えて、書くはずがないではないか。それを知っていて小寺信良をいじめてやろうと思ったのなら、おめでとう、それは成功した。僕はそう書かれたこと以前に、それを書いた人の心の暗さに、ちょっと心が折れた。
2008年08月02日 14時24分 [ Blogmag ] [ ネット ]
久々に筋の悪さを見た気がする
ネット上の報道コンテンツの質向上を目的として、「日本インターネット報道協会」なるものが設立されたそうである。
寡聞にして参加企業のうち、ちょっと見たことあるなというのはオーマイニュースぐらいで、正直ネットの報道サイトとしてはマイナーなところの集まりという印象を持った。そもそもほとんどの報道機関はネットに進出しているし、自分たちのコンテンツの向上を目指すというのなら「がんばれ」と言うしかないが、人のところまで口出しするようなことになれば、お前が言うな状態になること必至だと思う。
ちょっと見たことあるといったオーマイニュースは、以前僕がITmediaに書いたコラムに対して、「検証する」という題目で記事を起こされたことがある。いや批判は結構なことだが、普通そういうのはもっと大物に対してやるもんじゃないか? 大前研一とか。いやわかんないけど。
大抵こういう批判記事というのは、大物を批判することによって自らのステータスを上げるという具合に作用する。これはゴシップ週刊誌などがよく使う手法で、体制を批判することで「反体制=庶民の味方」風の演出であったり、競合相手を非難することで自分が優位に立とうとする、中学生ぐらいまでのいじめの構造と同じである。それをそもそも俺なんか捕まえて批判して、一体どうするのだろう。
その記事自体もまた大変な腰砕けで、数回に渡って連載する風なニュアンスであったものの、結局初回が掲載されただけで、オレ放置。いやいくら市民記者とは言え、ノリと思いつきだけで「報道記事」として出されたのではたまらない。
事務局長の弁で「記者クラブに属さないネットメディアは取材にも苦労するから、協会の会員企業で記者会見を主催するといったことも考えたい」とあるが、そうかなぁ。まあ取材対象にも夜とは思うが、オレは記者クラブに入ってないからといって取材を断られたことはないなぁ。官庁とか政治家とかにも会ってるけど。
だいたい記者クラブって、もはや機能していないと思う。MIAUが設立発表会に言ったときに、津田さんとこの社員さんに資料を記者クラブに投げ込みに行って貰ったけど、急に来てもダメだよということで事前にアポ取って行ったものの、実際には「あーその辺に積んどいて」と言われてそれだけ。そこには同じような投げ込み資料が大量に放置してあったとか。
翌日見に行ったら、昨日とまったく同じ形状で資料類がそこに積まれていたそうで、「今後記者クラブは対応する必要無し」と我々は判断したぐらいである。
何がしたいんですか、マジで。





