コデラノブログ 3

Linuxに必要なのは見た目か

最近注目しているサイト「ライフハッカー」に、「Linuxに今必要なのは美しい見栄えなのか?」というエントリーが上がっていて、昨日もUbuntuの話を書いたばかりだし、ちょっと考えさせられた。

筆者がLinuxをいじっていたのは98年前後だから、かれこれ10年ぶりに再びLinuxの門を叩いたことになる。当時はTurboLinuxが一世を風靡していて、多くの出版社が便乗書籍を出していたものだ。かく言う僕も、生まれて初めて単独で書いた本というのが、「使える! 遊べる! TurboLinux」という本だった。

思えばこれも色々繋がっていて、このときDTPしてくれた友人が、今度MIAUの教科書のDTPを引き受けてくれることになっている。まあこれは余談。

Ubuntuというディストリビューションは、ある資産家が大量に資本投下して、サポート体制を整えている。元々はDebian系だそうだ。いや、詳しくはまだあんまり調べてないのだけど。

昔のコミュニティに比べれば、Ubuntuの初心者サポートというのは、良くやっていると思う。常に初心者は製造され続けているのだから、これをサポートしなければ広がるものも広がらない。10年前のディストリビューションにもそういうことを言う人も居たが、実際には「manって知ってますか?」みたいな答えしか返ってこなかったものである。

さて、LinuxにMacOSのような見栄えが必要かと言えば、うーんまあ今ぐらい頑張ってればいんじゃない? と思う。実際に使うのはアプリケーションだったりオンライン上のサービスだったりするわけだから、デスクトップやファイルのアイコンなどは、既存OSのいいとこ取りをして使い勝手が良ければ、それで十分だろう。

それよりも、ちょっと使い勝手を変えたり、ツールを入れたりするときに、やっぱり10年経ってもsudoしてコマンド打ち込んだり、エディタで設定ファイル開いて書き直すみたいなことになっている。多くの人を取り込もうと思うのならば、この辺をGUIで何とかした方がいい。

GUIによる設定変更、つまりWindowsのコントロールパネルで設定できるような方法は、とりあえず何かしたかったら、そこからそれらしいものを探せばいいし、設定もウインドウの説明をよく読んで試してみれば、とりあえずなんとかなる。そのあたりの「探していけばなんとかなる」ところが大事なんじゃないかな。

一方コマンドも優れている面もあって、ちょっと便利なコマンドを知ってれば全部自動でやってくれたりもするし、教えたりする場合も「とりあえずこれ打ち込んでみろ」と教えられる点で、サポートは便利だ。なくすには惜しいのだけど、自力で解決が難しい点で、この方法は敷居が高いのだと思う。

OSの動き全体をコーディネートする人がいて、その人のポリシーを実現しようとするような集団が後ろについているような状態、つまり会社内の命令系統のような形でチームが固定化されないと、なかなかすべてをGUIでデザインするのは難しい。

そのあたりが、多くの推進力を有志のプログラマ集団に依存しているGNU/Linuxというものが構造的に抱え続けている問題だと思う。

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