2008年07月09日 12時55分
それは本当にパラダイムシフトか
ちょっと夏日が続いたものだから、調子に乗って風情を出そうと蚊取り線香などを焚いたところ、喉を痛めてしまった。そこから体調を崩して寝込む始末。最近更新してなかったのはそう言うわけなのだった。
さて、先週末から「ニコニコ大会議」ライブ配信で、本人を前に中傷と受け取れる書き込みが行なわれたことの是非に対する議論が続いているようだ。この問題に関しては、本当は僕はもっと早くから言及しておかなければならなかった。
このようなインタラクティブな試みは、5月1日に行なわれたMIAUの「青少年ネット規制法案を考える」シンポジウムで行なった事がある。ブログでもちょっとそのことを書いているし、ニコニコ動画やYouTubeでは、楠さんの講演や質疑応答の部分で、少し雰囲気がわかるかもしれない。
このような手法は、ライブとネットを接続するという点で古くから実績がある。平澤進のインタラクティブ・ライブがその先駆と言えるかもしれない。
シンポジウムの現場でも、今回の「事件」と近いようなことが起こった。質問した参加者に対して「またお前か」「話なげえ」といった書き込みであふれた。現場では仕切りをうまくやれば、案外深刻な雰囲気にはならないものだが、これがエスカレートするようならマズいな、と主催者側として感じたのは事実である。
「ニコニコ大会議」では、質問者自身が「パラダイムシフト」と受け止め(受け流し?)たことで、問題は沈静化しつつある。だがたぶんそれは、この質問者自身も語っているように、単に面白かったで割り切れるほど単純ではないように思われる。
これは先日のエントリにも絡むことだが、今後ネットの行動は「本人が見ている可能性」を排除できなくなっている。で、その際に本人が見ているということを無視してこれまでどおり落書きを続けるのか、「あ、これは普通知り合いでもない人に面と向かって言うことじゃないよね」と自重するのかの分岐点がそこに産まれた、ということである。
それは、書き込む側のリテラシに頼る部分も大きい。しかし「システムがそれを助長する」のはまずいことだし、「それを知ってて放置する」のはもっとまずいことだと思う。今まさにはてなブックマークが直面している問題と同じだ。
MIAUのシンポジウムはいつもビデオで撮影しているわけだが、質問者や参加者の顔はなるべく映らないようにカメラを配置している。それは顔が映ることで、その人にどのような影響が及ぶかわからないからである。肖像権云々を持ち出すまでもなく、これはマスメディアに携わったことがあるならば、当然身につけておかなければならないリテラシだ。
ネットでビデオが扱えるようになって久しいが、そのあたりの常識は、ネットにはない。「それがないから新しい」で本当にいいのだろうか。
先日の秋葉原連続殺人事件でも、事件直後の映像をUStream配信したことの是非が問われたことがあった。これも一つの、マスに映像を流すものに求められるリテラシの問題と言い換えることができるだろう。
僕は、「面白かった!」というポジティブな意見にスポイルされて、「顔が出るのは困ります」という人の気持ちや事情を察することができず、むしろそれを悪いことように見せてしまう今のネット世論を、恐ろしいと思う。
今回のような議論を呼んだのを契機として、ネットなりの映像リテラシを考えてもいい時期なのだろう。少し考えてみるから、これは僕の宿題とさせて欲しい。
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