コデラノブログ 3

来なかった電子書籍の未来

ソニーとパナソニックが、事実上電子書籍ビジネスから撤退するそうである。

コンテンツと電子書籍端末も絡むビジネスなだけに、卵が先か鶏が先か的なサイクルが行き詰まったということだろう。

端末に関しては、やはり4万円というのは高すぎる。例えば「いっぺんに4万円分本を買う」という経験をした人が世の中にどれだけいるだろうか、という話にも繋がるだろう。

本というのは、ある意味小分けされているから買いやすいものであって、いきなり百科事典や文学全集を買うというのは、本を買うというのではなくもはや別の買い物である。そのへんの値頃感が合わなかった、というのがハードウェア側の問題。

米国の端末もそれぐらいするだろ、という指摘もあるだろうが、それ、アメリカ人は本も読まないバカだと思ってないか(笑)。米国人は、結構本を読む。というか、テキスト情報がものすごい数揃っている。特に専門家、プロフェッショナル向けの解説書などは、日本では考えられないぐらいの量の書籍が、安価に出ている。140年ぐらい前にタイプライターが出現して以来、欧米諸国は「文章と書類の国」になったのだ。その頃日本は明治維新で、征韓論とか廃刀令とかの時代である。

コンテンツの問題としては、記事内では取り次ぎなどの保守的な流通システムの問題も指摘されているが、やはりWEBコンテンツをダイレクトに取り込む仕掛けがなさ過ぎたことは敗因だろう。いやそれも、おそらく旧態ビジネスへの配慮をしずぎたせいではあるのだが。

僕は個人的に、ソニーのLibrieを使って、TimeBookTownで書籍をダウンロードして読んだりしていた。江戸川乱歩などの古典推理小説などは、ほとんどこれで読んだ。貸本と同じなので、金額が安いのがメリットだが、期限があるのが困った。仕事の忙しさによっては、途中で放置して期限切れになったことが何度かある。

本屋というのはマメに通うというよりも、ふらりと立ち寄って数冊まとめ買いして、それを期間を気にせずに読む、というのがサイクルのように思う。コミックスならもっと回転が速いだろうが、一般書籍はそれほど一人一人のサイクルは速くないはずだ。そのあたりの時間感覚も、なにか合わなかった感じがした。

あとはコンテンツの値段だ。本を作る立場からすれば、もっともコストがかかって、しかも圧縮できないのが「紙代」である。それがないのだから、もっと安くできて当たり前のように思えるが、買い取りコンテンツでは紙の書籍と値段が一緒というのでは、消費者は踏んだり蹴ったりだ。誰も買うはずがない。

例えば青空文庫のHTMLファイルがそのままつっこめたり、PDFの表示能力がそこそこ高かったりすれば、別の方面からの需要も期待できただろう。学生や研究者などは、論文をPDFで読まなければならないことも多い。そういう大量の文章リーダーとして、PCではなく軽量、そしてフォントが綺麗という専用端末は、需要があったはずだ。あるいは音楽家用に、楽譜リーダーとして横型にしてもいい。フットスイッチでページがめくれるようにすれば、練習も楽だろう。

米国のような流通になってないのが悪い、というのも一つの見方かもしれないが、それはすぐには動かせない。今回の失敗は、あまりにも既存の書籍ビジネスを電子的に転換することに集中・配慮しすぎたことではないかと思う。携帯書籍のようなまったく新しい流通を生み出すインフラが、ネット上に構築できなかったというのは、「ネットの自由」からはほど遠い現実として受け止めなければならない。

この記事へのトラックバックURL

http://blogmag.ascii.jp/admin/mt-tb.cgi/1221

この記事へのトラックバック(0)

前の記事:

家が続くということ

次の記事:

はてブの立ち位置