2008年05月01日 13時07分
Tell me how do you feel to be on the safe side.
2001年にAV Watchで連載を始めてから、僕は「ネットのモノカキ」になった。機器のレビューは雑誌などで少しやってはいたものの、どういうスタンスで行くかは本当に手探りだった。
いろいろ批判的なことも書くわけだが、それに関してはいつも負い目を感じていた。物作りの現場を知っているわけでもない一介の「お客さん」にしかすぎない自分にとって、一番言われてキツいのは、「じゃあオマエならどうする」という言葉である。
客観的とは聞こえがいいが、要するに無責任に気に入るとか気に入らないとか気軽に言える立場に対して、自分の意見で数億円の開発投資と開発チームの今後数年の人生が決まる商品企画者の立場は、比べることができない。しかし実際には、無責任な言葉のほうが世の中を動かしてしまっている。そんなこともますます負い目になってくる。
発言の責任を取るつもり、ということは意識していなかったが、数年前からメーカーの方に意見を求められるようになってきた。最初はレビュー内容の真意を確認するというものが多かった。こちらも言った手前、この手のオファーには100%お答えしてきたが、次第に取り上げていない製品についても意見を求められたり、あるいは開発中の製品に対してもアドバイスを求められたり、いい関係を築けるようになった。
普通こういうのは、エラい評論家さん達にとっては収入になるそうなのだが、僕の場合はそういう相談みたいなものでお金を取ったことはない。こうして少しでも、発言の責任を果たしているのかな、と思っている。
ITmediaのコラムでは、社会的・政治的問題にも立ち入ることが多くなった。当初はこれも同じように、己の無力を承知の上で問題提起できるだけでも、と思っていたが、近年MIAUの力を借りて、じゃあどうすればいいのか、ということに関して具体的に動けるようになってきた。
実際に活動するというのは、報道の本道から外れてしまうことにもなるのだが、ある件に関して批判した以上は、もう中立ではない。僕は「ニュース記者」ではないのだ。
以前「「プロブロガー」は成立するか」というエントリを書いて、商業ブログの成立には懐疑的な意見を述べたのだが、それから時代は変わり、書いた本人自身がこうして商業ブログに書き込んでいる。他のメディアでも、ブロガーを抱えているところも増えてきた。
ブログは連載記事と違って更新頻度が高いので、ネタを探すのが大変だ。一番手っ取り早いのは、誰かを捕まえて批判することだが、僕自身は個人を特定して批判することは避けている。それはおそらく、長らく勤めたマスメディア的指向なのかもしれないが、性格的にもそういうことには向いていないと感じている。
今日はMIAUの青少年ネット規制法案に対するシンポジウムがある。MIAUや僕の行動に対して、商業誌のブログでは、名指しで批判するところもある。もはや小寺信良は一私人ではなく、公人扱いになってしまったということなのかもしれない。
僕は、これだけ一般の人でも広く意見が述べられるようになったネットの世界で、お金を貰ってプロとして発言する時には、いつまでも従来の新聞のような「責任なき批判」では済まないだろうと思っている。以前なら考えることさえメディアに任せて、一般市民はそれに対して賛成か反対か手を挙げるだけしかしていなかったが、今は全体が1ステップずつ、階段を上ったのだ。
批判は、社会の正常化には必要だ。批判するなと言うのではない。
「オーケーオーケー。言いたいことはわかった。で、キミは一体何をしてくれるの?」
ということである。言うだけ言って終わりという、「神の視点」は、なにもその人でなければ言えないわけではない。独り言なら、どこかで一人でやればいい。
プロブロガーは、椅子に座っていないで、自分の足で歩き出す時がきたのだと思う。
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