コデラノブログ 3

2008年02月 の記事

惜しい、間に合わない

ワンセグ対応ウォークマンA「NW-A910」シリーズで、閏年にEPGが上手く配信できないという問題が今日発表されていた。

気づいたの、今日なんだろうなー。というわけで、記念に手持ちのA910のEPG画面を上げておこうか。P1100394.JPG

次見られるのは4年後ですから。というか、これからファームウェアのアップデートするのか。でも4年後もこれ、使ってるかなぁ。

相次ぐ出版社の再編

偶然の一致なのか、今日は出版社に関するニュースが沢山飛び込んできた。

インプレスの動画サイト「impressTV」が、今年3月いっぱいでコンテンツの更新を休止、9月にサイトをクローズするそうである。ご存じかもしれないが、インプレス自体は05年にいろいろな部署が分社化した。Watchをやっているのは(株)Impress Watch、書籍出版をやっているのは(株)Impress Japanといった具合である。impressTVは、(株)air impressという形で分社化していた。

impressTV自体は2000年に開局した、いわゆるストリーミングの元祖的な存在である。その前身は、アキバPC Hotlineから派生した「インプレスラジオ」であったと言えるだろう。大手動画配信サイトが成長する中、自社サイトで独自コンテンツを制作し続けていた。「水曜どうでしょう」を、ストリーミングで全国区に仕立て上げた功績もある。

僕も何度か出演したことがあるが、元々テレビ出身の僕にとっては、番組制作の方法がオママゴトのように見えたのも事実である。実際問題、日本で動画配信サービスが人気を集めているのは、テレビ番組が流出しているからだ。テレビ番組にかけられるお金と、独自ストリーミング番組にかけられる予算では、雲泥の差がある。内容ではなく、そのあたりの見劣り感で差が出たというのなら、悲しい現実であると共に、これからのストリーミングの世界に暗い影を落とすことになるだろう。

2つめは、WEbコンテンツではImpress Watchと二大勢力とも言えるITmedia関連のニュース。こちらはITmediaが好調で、出版がなくなるかも、という話である。

正直、ITmediaもそんなに儲かってるかという話はあるにしても、ソフトバンクの出版部の萎縮は、見ていて気の毒になる。僕のITmediaの連載を書籍化したときも、元々はソフトバンクに話を持っていったのだ。それは当然の成り行きである。

だがソフトバンク側はまったく興味を示さず、結局はこの手の文化論ものに強い、宝島社の子会社である洋泉社という全然別の会社を津田大介氏に紹介して貰い、出版することができた次第である。WEBから書籍化という流れが活性化する中、この緊縮財政と消極姿勢では、面白いものを出すことはどだい無理な話だ。

3つめは、このブログの大元であるアスキーが、事実上消滅するという話。これも今日ハガキが来ていた。吸収合併される先は、「電撃」シリーズでおなじみの、メディアワークス

アスキーと言えば、実は僕がモノカキになる前から仕事をしていた。90年代のアスキーは、青山通りにビルを構えていて、その周辺にも関連会社が沢山あったものだ。その昔アスキー総研という会社があって、映像制作の仕事をいくつかやったことがある。当時アスキーは、出版を軸にいろんなメディア創出をする、新進気鋭のベンチャーという香りがする会社だった。インプレスも元はと言えば、アスキーが分裂してできた会社である。

現状ASCII.JPとかこのブログとかがどうなるのかは、まだ具体的な話がないので、わからない。そのまま続くのかもしれないし、何らかの改変を受けるのかもしれない。なんだかこのブログも、いよいよ「超人ロック」化してきたようだ。

変わらない放送業界の実情

昨日開催された第33回デジコン委員会では、制作プロダクションの代表者と放送局側が、番組販売の窓口権を巡って激しい意見の対立をみせるなど、見どころの多い会議となった。

詳しくはまたどこか記事化するところもあるだろうから、それを待ってコメントしてみたいが、このやりとりを聴いてて感じるのは、「変わらんなぁ」という思いである。

筆者は以前放送業界に居たわけだが、電波の仕事をしなくなって数年が経過する。その間、未だ業界で頑張っている友人らと交流したり、放送関連のショーで取材したりと、一歩引いた立場で放送業界の動向を眺めている状況だ。しかしデジコン委員会のやりとりを聴いていると、放送局とプロダクションの力関係というのは、何も変わってないというか、むしろ想像した通り悪くなっているという印象を持った。

筆者が現役の最後の頃というのは、BSデジタルはもうスタートしていて、地デジが始まるかどうかというタイミングであった。その頃から、番組発注単価は下がり、BS番組と地上波番組の抱き合わせ発注などということも起こっていた。

制作会社から漏れる現状は、結局その時代から番組制作費は上昇せず、人材の育成もままならないということである。以前は局にも首を横に振る強大な制作プロダクションもあったものだが、バブル崩壊期にみんな倒産してしまった。

これら委員会を通して、有識者の間にも「番組って実は放送局で作ってないんだ」という事実が次第に浸透してきたようである。クリエイターの保護、作品に対するリスペクトという言葉は耳ざわりがいいが、それが具体的に何を意味するのか、これから徐々に委員会の席で明らかになることを切に願う。

EM ONEの再来?

昨日発表されたイーモバイルの新端末、HTCのS11HTはちょっと気になるデバイスだ。

個人的には通話はどうでもよくて、移動中のデータブラウジングがPCを広げなくてもできるのであれば、ちょっと興味がある。同じようなものとしては同社のEM ONEがあったわけだが、通信速度は十分なものの、本体のCPUパワー不足でページのレンダリングが待たされるのは、いくらなんでも勿体ない。

ただ本気でガーッと突っ込めないのは、OSがWindows Mobileという点だ。W-Zero3でさんざん使ったが、あれは使いにくい。というか、設定がわかりにくい。Ver.6になって多少良くなっていることを期待したいのだが。Synbian OSだったら即買いなのになぁ。

思い切ったなぁ

家電量販店「デオデオ」などを運営するエディオンでは、過去同社系列店で購入したHD DVD機をBlu-ray機に交換するそうである。BDが高いときは差額を顧客が払い、HD DVDのほうが高かったときは差額を返金するという。

ユーザーとしては、すでに録り貯めていたコンテンツのことを考えると、デッキを手放すのが吉か判断に迷うところではある。東芝は量販店への返品対応を行なうのだろうとは思うが、まだ正式に発表がない段階でこの対応策を打ち出すということは、店側もそれなりのリスクを覚悟しているということだろう。

米国ではどの店でも返品は当たり前だが、日本で自主的にこれを発表するというのは、なかなか見上げたものである。在庫を抱えたままで販売を中止したヨドバシなど、店による対応はまちまちだが、顧客を満足させるサポートができる量販店はどこかという証が、今回の騒動で浮き彫りになるようだ。

カラダは一つ

昨日は東芝の緊急記者発表で、日本の主立ったメディアが浜松町に大集結だったわけだが、昨日は同時に第32回デジコン委員会の開催日でもあった。15時40分から開催で、僕も傍聴するために霞ヶ関に向かっていたのだが、駅に着いたところでAV Watch編集部から連絡。東芝の緊急記者会見が17時からだという。

デジコン委員会は、当初15時30分の予定であったが、昨日40分開始に変更になった。ということは、前に別の委員会があって、その掛け持ちの委員が30分には来られないから、ということを意味している。たぶん40分には始まらないだろう。

いったん始まると1時間は超えるだろうから、それから東芝本社に向かったのでは間に合わない。デジコン委員会は欠席して、東芝のほうへ向かったのだった。

そして今日ニュースを見ていたら、そのデジコン委員会で、ダビング10の開始が6月2日午前4時スタートと発表(http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0802/20/news071.html)されていたようだ。そこも傍聴したかったのだが、あいにくカラダは一つ。東芝のほうは何を発表するか予想できたが、デジコン委員会は毎回行ってみないとわからない。それよりは、内容が見えているほうに出席するという判断をしたのだが。

もう少し時間がずれてたらなぁ。

東芝記者発表会

今日は第32回デジコン委員会の傍聴に霞ヶ関に向かっていたのだが、途中ケータイに「東芝が緊急記者発表会を行なう」という連絡があり、急遽そっちへ向かう。デジコン委員会に出てきルと、どうしても間に合いそうになかったからだ。

会場には40分前に付いたが、もう席は半分近く埋まっている。各テレビ局はもう後方ですべてスタンバイ済みという状況である。現在30分前だが、記者席はほぼ満席。

斜め後ろにEngadgetのIttousai氏が潜り込んでいる。多分リアルタイムで更新するのだろうから、そちらを注目していて欲しい。

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HD DVD報道について考える

2月16日19時のNHKニュース、トップで取り上げられた東芝のHD DVD撤退報道について、今のうちに言っておこうと思う。

これを見た大半の人は、HD DVD敗北という印象を持っていると思うが、それはそれで正解である。ただこの報道の内容というか、立ち位置まで考察してみるとなかなか腹芸があって、味わい深い。

実はこの原稿、決定事項は何一つ述べていないのである。つまり、「HD DVD事業から撤退することで最終調整に入った」という事実がそこにあるだけだ。平たく言えば、「これから最後の相談に入ります」という観測的事実を述べているに過ぎない。

これに対して東芝側が、「決定した事実は何もない」とコメントを出すのも至極当たり前の話で、こちらも報道の事実をひっくり返すようなことは一言も言っていないのである。

これを腹芸と呼ばずになんと言おう。

おそらくHD DVD事業を展開している東芝デジタルネットワーク社に対して、東芝本社としては外側から圧力をかけたいということで、NHKとある程度の手打ちがあったのではないだろうか。

今後、HD DVD事業の進退に関しては正式に発表があるのかもしれないが、元々戦争しているのだから、負けがあり得ることは十分に見越していたことだろう。マスコミ的にはβ対VHSの規格争いと対比して、前回負けたソニーが今回勝ったというシナリオにしたいようである。

しかし実際はそのあとに、DVDフォーラムとDVD+RWの戦いもあったわけで、この決着は付くどころか、結局両対応ドライブの登場でグダグダのままである。まあ見方を変えれば、セルメディアがない時点で、DVD+RWは勝負にならなかったと見てもいいかもしれないが。

今回の決着で我々が教訓として胸に刻んでおかなければならないのは、日本メーカー内で勃発した規格争いなのに、日本の消費者の選択である売上比率1対9ではなく、結局ハリウッドの映画スタジオの支持率3対7で勝敗が決まったという点だ。それだけワーナーショックは大きかったということでもあり、それに続く米国大手量販店の追従が効いたということである。日本の電子産業が、米国コンテンツ市場に踊らされた形になった。

それだけコンテンツを持つということは、強大な決定権を手に入れるという事でもある。日本のコンテンツ市場はそこまでの決定権を持つに至れるのだろうか。

いつの間にか定着した習慣

今日はバレンタインデー。既婚、子供2人のオッサンには何一つ関係のない、タダのいつもと同じ日である。とは言うものの、毎年この時期になると、娘のチョコレート作りで家内がヘトヘトになるので、あーまた今年もそんな時期が来たか、と思う。筆者にはいつも、そのチョコ作りの失敗したヤツの寄せ集めセットのようなものが回ってくる。いやそれもどうなの。

世の女性は、義理チョコの配布でさぞ気苦労があることだろう。気の毒なことである。だいたいこのバレンタインデー、筆者んちが田舎だったこともあろうかと思うが、昔は義理チョコなんてのは、それほど習慣化とまでは言えない程度の、もっと洒落っぽいものであったように思う。これってやっぱり、本命だけじゃお菓子やが儲からないので、販路拡大ということで最近立ち上がった便乗商売だと思う。

ちなみにこのお返しの3月14日ホワイトデー、これは日本で始まった、日本国内限定の習慣であって、根拠などはほとんど何もない。筆者が思春期のころは、まあホワイトデーってのもあるらしいよねー、ぐらいのことで、積極的にお返しがどうのこうのいうこともなかった。

今はホワイトチョコなどを上げるようだが、昔はクッキーをあげるって話だったように記憶している。もっとも宮崎県のことだから、標準から大きくズレている可能性は高い。

そもそもお返しをするという考え方が、日本の風習として馴染みやすいものであったのだろう。返礼といった概念が、欧米ではあまり強くないのかもしれない。

しかし義理にしても何にしても、とかくぎくしゃくしがちな職場の男女間で日頃お世話になった礼と、その返礼という風習として根付くというのは、人間関係を潤滑にするイベントとしては悪くないのかもしれない。

あまりチョコレートにこだわりすぎると、チョコレートやの陰謀にはまったようで面白くないので、もっと幅広いプレゼントの風習として続いていってもいいように思う。

人類共有の財産を

定価付けて売るってか。しかもHD DVDって。

いやNHKのかぐや映像の話なんだけど。

日本国民の税金で打ち上げた探査船に、日本国民の受信料で備え付けたハイビジョンカメラの映像を、セルメディアとしては負け組決定のメディアに入れて売ると。

お金ってコワいねー。正常な判断狂わせるよねー。

YouTubeとニコニコ動画の差

MIAUのダビング10シンポジウムの動画を両サイトにアップしてあるわけだが、再生回数でソートしてみた。

最多再生数はどちらも同じぐらいだが、YouTubeのほうは割と頭から順番に見ていって、途中で挫折するのか回数が徐々に減っていく感じ、一方ニコニコのほうは、盛り上がっているというか面白いエピソードに再生回数が集中していて、順序はバラバラという、興味深い結果が出た。

YouTubeにも動画にコメントを付けられる機能があるのだが、ほとんど利用されていない。一方ニコニコのほうは、コメントが画面上に、そして視聴者の思ったタイミングのところに付けられるので、よく利用されている。そして結果的には、コメント数が呼び水になって、加速度的に面白い回だけ再生が延びるという構造のようだ。

ネットの動画のあり方としては、面白いものに再生数が集中するのは当然あるべきことであって、そういう意味ではYouTubeはクチコミ効果のようなものがサイト内で起こりにくい構造なのかもしれない。

またニコニコのほうが二次創作が盛んなのも、「ウケる」という反応が直に伝わってくるからなのだと思う。つまり、舞台に立つような、ライブパフォーマンスと似ている現象が起こっているということなのではないだろうか。これはテレビ的な視点では非常に奇妙なことで、時間差のある「生」という、不思議な状況が起こっていると言えるかもしれない。

日本においては、たぶんコンテンツクリエイター側と仲良くやれるのは、ニコニコのほうだろう。

どきどきする買い物

貧乏だったテレビマン時代に比べれば、今はなんとか家族も持って人並みの生活ができるようになった。以前ならパソコンを買うというだけでローンを組まなければならないし、一大決心が必要だったものだ。

だがその分だけ、買ったものはありがたかったし、大事だった。未知のものを手に入れるというのは、いつもどきどきするものだ。

しかしそんなIT生活が軌道に乗ってくると、なにかこう、いつも買っているものといえば必需品のようなものばかりになってしまう。先日、UPSを買ったのだが、1万円ほどもするものなのに、どきどき感はほとんどゼロである。あとはDVDメディアとかプリンタのインクとか、そういうものでいつの間にか1万円札が飛んでいっているような気がする。

なにかこう、現状を維持するだけで、それ以外の新しいものにトライする余裕がなくなっているような気がする。背負っているものが多すぎるのかもしれないが、なければ困ると思っている。いや本当になくしてしまえば困らないかもしれないが、そこまで達観してしまったら、今の生活とは決別しなければならないということだろう。

皆さんは、最近どきどきする買い物をしてるだろうか。どきどきするのなら、その買い物はきっと幸せなものなのだろう。

動画革命

よく考えてみれば、ビデオカメラというのはデジタル化したときに、あんまりイマジネーションを刺激しなかったんだろうと思う。

例えばデジカメは、写真という表現手法自体は古くからあったものの、デジタルになったときにPCユーザーが飛びついた。当時は本物の写真の代わりにはまったくならなかったが、使いかたのイマジネーションを大きく刺激した。

一方ビデオカメラは、アナログで実現できていたことそのまま、あるいはそれ以上の完成型で登場した。そういう意味ではアナログ時代から良くできたキカイだったとも言えるのだが、デジタル化されても使い手のイマジネーションを刺激しなかった。要するに、それまでのビデオと使われ方自体が変わらなかったのだ。

その結果は、今に続いている。デジカメとビデオカメラは、聞くところによれば市場規模では7倍ぐらい違うそうだ。おそらくはビデオカメラに、「日常」の出番がないことが、この規模の差に繋がっているのだと思う。そしてその差は、すでに使い方が完成した社会では、なかなか埋まらないのだろう。

未来を扱ったアニメなどの作品には、ビデオレターというのが良く出てくる。ホログラムで立体的になっていて、短いメッセージを繰り返し再生するようなやつだ。

未来技術というのは、イメージしなければ生まれないものではある。だがああいうものが、我々は欲しいのだろうか。「あってもいい」ものではあっても、「ぜひ欲しい」ものでもないような気がする。世の男の子は、ホログラムビデオメッセージよりも、巨大ロボットのほうが欲しいのだ。

ビデオ映像の新しいソリューションは、男ではなく女性発明家の手にゆだねたほうが、面白いものが生まれるのかもしれない。

しゃっちもどかす

地方出身者である筆者は、ある意味方言と標準語のバイリンガルなのであるが、時々方言にあって標準語では失われた語彙に出くわすことがある。これは多くの地方出身の方にも経験があることではないだろうか。

例えば兄弟の間で、上の子が下の子にしつこくちょっかいを出して、ついには泣かしてしまうということがある。こういう状況を宮崎の方言では、「しゃっちもどかす」という。「しゃっち」がしつこくに相当するのだが、「もどかす」に相当する表現が標準語で思いつかない。いじめる、でもないし、からかう、ほどまでの表面に露出する悪意はない。

関西で言うところの「いちびり」に近いのではないかと推測するのだが、大人同士の場合には「もどかす」は使わない。必ず対象が、子供同士か、子供と大人の関係に限定される。やっぱりこれも、少しニュアンスが違うのかもしれない。

語彙というのは、頻発する普遍現象を表わすために発生するものであろう。しかし余りにも語彙が増えすぎると使い切れないので、大きな意味を持つ言葉に集約されていく。つまり系統化され、統合化されていくわけである。そういう意味では、兄弟げんかに限定した諫める言葉のような、細やかなニュアンスを含む言葉というのは、今後加速度的に失われていくのかもしれない。

他の人に伝わらなければ、言葉は使うことができなくなる。それは誤解を生みやすくなり、人間関係がうまく潤滑しないことに繋がらないだろうか。何か伝えたいけど、もやもやとして言葉に出せないことが多くなったら、方言などの古い言葉の中から当てはまるものを探してみるのも、いいかもしれない。

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