コデラノブログ 3

ネット流通に対するスタンス

本日はデジコン委員会の傍聴に言ってきた。AV Watchにも記事が出ているが、ネットを使ったコンテンツビジネスに関して放送局側の言い分はというと、ネットの違法アップロードが駆逐されない限り、危なくってやれるか、というニュアンスを強く感じた。それよりも、既存のインフラである放送やDVD販売といった形態と、ネットビジネスが競合するならば、やるメリットはない、ということである。

一方通信インフラ側は、積極的にネットによるコンテンツビジネスを促進していきたいが、著作権処理のリスクが大きいという。権利者側は、権利をクリアするのがリスクだという意識では、そもそも流通は無理なんじゃないか、と言う。

アジア圏ではP2Pによる映像交換が盛んで、アニメ販売市場が崩壊してしまっているという。いやだからこそ、同じ土俵で正規のネットビジネスを立ち上げなければならないと思うのだが、彼らは違法P2Pが蔓延した米国で成功したiTunes Storeの論理を、無視するのだろうか。

それぞれの言い分を今回ナマの場で初めて聞いたが、結局のところ、それぞれのリスクを、法や制度などで国が負担して欲しいという、他力本願型の図式が透けて見える。

そうなるとやっぱり映像の世界でも、iTunesのような外圧で一撃に市場をかっさらうビジネスモデルが出てきて、あーだこーだ言っている間に国内コンテンツ流通産業が全部持って行かれるという予感がする。Appleは、リスクを全部自腹で払っている分の、強みがある。

この市場崩壊の状況で思い出すのが、70年代のパンクムーブメントである。イギリスを中心に起こった労働者階級の崩壊が招いた破れかぶれのムーブメントは、強力なパワーで世界を席巻した。それに反発する形でテクノが勃興し、それらのミクスチャとしてそれ以降80年代から90年代前半を支配するニューウェーブの下地を築きあげた。

アジア圏のコンテンツ市場崩壊は、何か新しいムーブメントを生み出すのだろうか。やりっぱなし、やられっぱなしではなく何かを生み出すのは、組織でも権力者でもなく、常に民衆の仕事であったことを考えてみると、その萌芽を注意深く探す必要がありそうだ。

追記:
いやそう考えるとアメリカ人というのは、無法地帯から秩序を回復する方法を、体で知っているなぁと思う。日本はなんだかんだ言って、安全な国なのだ。無法地帯に対する耐性がほとんどないから、国家権力を投入して統制しようとする。日本国民も滅私奉公が長い間通用してきたで民族だから、それはそれでうまく機能するのかもしれないが、国際社会としてはかなり異端な国の形のままであり続けるだろう。それは果たして、日本らしいということでOKなのか。もう少し考えてみたい。

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